ルカ福音書 16章19~31節

2018年11月2日

(内容)

  • 金持ちの人間と貧しい人間の運命が死後逆転します。貧しいラザロは、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれました。金持ちは陰府でさいなまれています。金持ちはアブラハムに自分の兄弟が陰府に来ないように、ラザロを兄弟のもとに遣わしてくださいとお願いします。

(聖書に聞く)

☆神さまが私たちに求める生き方
  • (勧め)20-21節。貧しい人たちを顧みること。イエスのたとえに出てくる金持ちは、彼の家の門前に貧しくできものだらけのラザロが横たわっていても、憐れむことなく、見過ごしました。
  • (模範)28節。金持ちは、自分の兄弟の救いを求めています。これは模範です。
  • (教え)31節。悔い改めは、み言葉を聞くことによってのみ起こります。金持ちの兄弟たちは会堂で神の言葉を聞く機会はありましたが信じませんでした。陰府にいる人が生き返って悔い改めを説いても、悔い改めはおきないだろうとイエス様は語られました。
  • 神ご自身が語られるの言葉を直接聞く人はいません。神は人を介して語られます。陰府から戻ってきたといっても、そのことを人は信じませんから、その人の語ることも人は信じないでしょうか。
  • 家族が信仰者になってほしいと願う人は多くいます。そのためには礼拝に誘い、説教を聞いてもらうことが大切だと教えられます。しかし家族といえども礼拝に誘っても来るとは限りません。

(黙想)

  • 礼拝に通っても、ある人が信じ、別な人が信じないという事が起きます。何が違うのでしょうか。どうしたらみ言葉が人の心に触れ、人を悔い改めに導くことができるのかと思います。私たちにできることの一つは神さまの導きを祈り求めることですね。福音に対して固く心を閉ざす心と心を開く可能性を持った心があるように思います。クリスチャンを迫害していたパウロでさえ、神さまによって回心したのですから、絶対に導かれない人はいないと思います。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、私たちは自分の家族が救われて欲しいと願います。しかし礼拝に誘っても来てもらえない現実があります。祈ってもなかなか祈りが聞かれないように思えることがしばしばです。人の心を変えることができるのは、あなただけです。家族への伝道のためにあなたは私を用いられるかもしれませんね。家族が礼拝に来るように祈る私に、「そのためにあなたは何ができるのか。祈りしかしないのか。私だけを働かせるのか。私はあなたを用いて、あなたの願いを実現に導きたいと考えている。あなたにできることは何か」、あなたはこう言われるかも知れませんね。
  • 来月私は妹を見舞いに東京に行きます。妹は未信者です。そして今、妹はひとりでは外出はできない病身です。祈ってはいますが、何ができるのかと思います。もう一人の妹と一緒に見舞う予定です。この妹は信仰者です。私の妻も一緒なので、三人で讃美歌を歌ってみてはと思いました。慰めにもなり、また私たちがあなたを信じていることは伝わります。そうします!そうします!讃美歌を歌うことを妹に伝え、どの讃美歌を歌うか決めたいと思います。導きを感謝します。
(与えられた導き)
  • 妹にメールをし、讃美歌の選曲を考えてもらう。