ヘブル 10章13~25節

2018年1月24日

(内容)

いくつかの勧めがなされている。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • (御子)20節。御子は新しい生きた道を私たちのために開いてくださった。
☆神が求める私たちの生き方
  • (勧め)22節。真心から神に近づこう
  • (勧め)23節。公に言い表された希望を揺るがぬようしっかり保とう。

(黙想)

  • 御子は新しい生きた道を私たちのために開いてくださった。つまり神に近づくことができるようにしてくださったということ。この手紙では、何回か、神に近づこうとの勧めがなされている。「だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか」(4:16)。「わたしたちは、この希望によって神に近づくのです」(7:19)。「それでまた、この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります」(7:25)。
  • イエス様は「垂れ幕を通って」、つまり聖所の一番奥(至聖所)へ入られ、私たちもそこを通ることができるようになった。言い換えると、私たちも神に近づくことができるようになった。
    神に近づくとはどういうことなのか。祈りはもちろん神に近づくことである。神に近づき、自分の願いを神に告げる。でも神に近づくとは、祈ることだけではないだろう。私たちが聖書を読むのは、神の御心に近づくためである。神の御心を知るためである。神の御心を知り、神との交わりに生きることができるようになる。聖書を読み、私たちは神の御心を知り、祈りを通して、私たちの心を神に告げる。聖書を通して、神がいかなる方であるかを知り、その神の御心を知る。さらには神のみ心を実践して歩み、神に近づくこともある。神に対して従順になることも神に近づくことだと思う。神に近づくことを通して神との交わりが生まれる。
  • 「公に言い表す」という言葉を著者は繰り返し用いている。「だから、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち、わたしたちが公に言い表している使者であり、大祭司であるイエスのことを考えなさい」(3:1)。「わたしたちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか」(4:14)。「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです」(11:13)。私たち信仰者は、自分がどういう者であるかを明らかにして生きる存在であることを知らされる。自分が抱く信仰について、希望について、自分を明らかにする存在。ディボーションのサイトを立ち上げ、自分のディボーションを公開するのも、自分が抱く信仰、希望がなんなのかを言い表す行為になるのかも知れない。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父よ、真心から神に近づこうと勧められます。今日もデボーションをし、あなたの御前に出てみ心に聞くことができて感謝します。今日は公に言い表している希望を揺るがぬようしっかり保とうと教えられました。
  • 牧師の務めからの引退を決意した時、心が少なからず動揺したことを思い出します。引退する前に、自分の行く手にあるのは引退です。引退したら自分の行く手にあるのは、自分の死です。自分の行く手に死があることを覚えさせられ、死を受け入れる用意がまだできていないことを知りました。
  • 自分が死ぬ存在であることは頭の片隅にあり、また死を越える希望を信仰によって与えられていますが、いよいよ死が、私の行く手に姿を現した思いがしました。そこで腰に帯を締めて、死を越える希望に向き合うことが迫られたのです。そしてこの課題とずっと向き合ってきました。2017年度は引退したので、毎週の説教の務めはありません。幸いなことに無牧の教会の礼拝奉仕は与えられ、説教のテーマを死を越える希望におきました。それは自分のためでもあり、また礼拝に集う多くの高齢者を意識してのことでした。今、この課題について、一段落したような気がしています。
  • そもそも私が信仰を求めたのは、死の恐れと生きることの空しさからの解放を求めてでした。信仰を得て、さらに牧師に召されて空しさからの解放は与えられました。死の恐れからの解放については、それなりのプロセスがありました。このプロセスがようやく到着点に着いたように思います。あなたが導いてくださったことを感謝します。以前から考えてはいましたが、このプロセスを文章に表したいと思いました。そしてこの一年に行った説教の原稿と一緒にまとめて小冊子にしたいと思いました。私のための私の信仰の証になります。無牧の教会の応援は、3月までありますので、3月末を〆切として、小冊子をつくりたいと思います。まず2月末までに、できれば早急にプロセスを文章化します。
  • 神さまに近づき、祈ることが許されていますので、切なる願いとして祈ります。今度の日曜日は、説教奉仕が与えられています。インフルエンザが流行しているので、無事に奉仕ができるよう、インフルエンザからお守りください。インフルエンザにかかっている孫たちをいやしてくださいと祈ります。
☆与えられた導き
  • インフルエンザからの守り、いやしを祈る。
  • プロセスの文章化