ヘブライ人への手紙4章1~13節

2017年12月28日

(内容)

安息にあずかるように努力しようとの勧めがなされています。昔イスラエルの人々は、エジプトにおける奴隷状態から解放され、神さまから約束の地へ連れて行くとの約束をいただきました。でも彼らは困難が起きると神さまや指導者モーセに不満を言い、神さまの約束に信頼することはありませんでした。心をかたくなにしました。その結果約束の地に入れませんでした。私たちは、この不信仰に倣うことなく、安息にあずかる(神の国に迎えられる)との神さまの約束を頼みとし、信仰の歩みをしましょう。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • (御父)7節。神は私たちを救いに招く方です。
  • (御父)12節。神の言葉は生きており、力を発揮します。
  • (御父)12節。神の言葉は、私たちの心にどんな思い、考えがあるのかを明らかにします。
☆神が求める私たちの生き方
  • (勧め)2節。神の言葉として聞いた言葉を信仰によって、神の言葉として受けとめることが大切です。
  • (勧め)安息にあずかるよう努力しましょう。
(黙想)
  • 「これは神の言葉です」と誰もが納得するような言葉はありません。人は、聞いた言葉を神の言葉として受けとめるか否か、心のうちで決めます。ある人は神の言葉と受けとめ、別な人は神の言葉とは受けとめません。神さまはモーセを通してイスラエルの民に、自由に生きることのできる土地へ連れて行くと語られました。でもイスラエルの民は、神の言葉として受けとめませんでした。困難に直面した時、神は約束の地に連れて行くと約束してくださったのだから、この困難から私たちを助けてくださると信じ、神さまに「助けてください」と祈ることができたのに、彼らはなんで、こんな困難に遭わせるのかと不平を言いました。神さまを信頼するなら、信頼する行動が生まれてきます。
  • 神様の言葉は私たちの心を明らかにします。私たちは自分の心の底にある思いに気づかないことがあります。牧師として何回も経験したことですが、「それはむずかしい」「それはできません」と信仰者が語るのを繰り返し聞きました。神さまの命令は、むずかしくて自分はできそうにもない、できない、と語ります。でもその心の底にあるのは、「従いたくない」とのかたくなな思いです。この思いがあることを人は勿論知りたくないし、そんな心のあることを見ようとはしません。人はそんな思いがあることに気づいていないのかもしれません。でも神様の言葉は、それを明らかにすることができます。聖書の言葉を思いめぐらすなら、説教で聞いた言葉を思いめぐらすなら、自分の心の底にあるものを人は知ることができます。
(神の導き)
☆祈り
  • 天の父なる神さま、「神の安息にあずかるよう努力しましょう」とありました。賛成です。わたしは年齢を重ねましたから、神の国に迎えられることが希望です。この希望に立ち続けるために、聖書の言葉を黙想することが大切だと思っていますし、引退後説教を依頼される時は、この希望に関わる聖書テキストを選んで、説教をしてきました。来月には、「この世を去る時の希望」と題して、テモテの手紙二から説教をすることにしています。クリスマスが終わりほっとしていますが、早速準備をしたいと思いました。今日、聖書テキストを読み、思いめぐらすことを始めたいと思いました。
  • 天の父なる神、あなたの言葉は私たちの心の底にある思いを明らかにします。私が自分の心にある思いで、それを見ようとしないで来たことがあります。それは祈りに関わるものです。自分はなぜもっと熱心に祈れないのか、熱心に祈れない心の底に何があるのか、ということです。祈りのノートをつくり、祈りの課題を列挙し祈ったこともあります。今もそうしています。祈りは神さまとの交わりです。信仰とは神さまとの交わりに生きることですから、祈りは重要な要素です。祈りよりも行動が大事だ、祈りの課題は挙げれば切りがない、祈りは面倒だ、祈ったってなかなか聞かれない、色んな思いが心の中にあります。祈りは神さまとの会話ですと人には指導します。自分自身会話と思って祈ります。イエス様は夜を徹して祈られたり、夜明け前から神さまに祈られたりしました。イエス様は自由に祈られたことを思います。祈りとは何なのか、とさえ思います。心のどこかに、祈りの人でなければならない、との思いもあるようです。信仰は神さまとの交わりに生きることであると信じています。神さまとの交わりに生きることにもっと心を傾ければよいのかもしれませんね。とりあえず、今日も祈ります。
(与えられた導き)
  • 説教テキスト(テモテの手紙二)を読み、思いめぐらす。
  • 祈る。