ヘブル人への手紙 3章7~19節
2017年12月22日
(内容)
エジプトで奴隷状態にあったイスラエルの民は神の助けによって解放され、自由に生きることのできる地(約束の地)を目指しました。そこへ着くまでのたびには困難が次々に起きました。神はその都度イスラエルの民を奇跡を行い助けました。それなのにイスラエルの民は、困難に遭えば神に不平不満を言い続けました。それで神は彼らを約束の地にいれることを拒みました。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- (御父)18節。神は不信仰に対して怒る方です。神は不信仰に陥ったイスラエルの民を自由の地に入れることを拒みました。
☆神が求める私たちの生き方
- (警告)10節。心を迷わせ、神の道を認めないことがないように。イスラエルの民の場合、神の道とは、神が彼らを助け、約束の地に連れて行くという約束のことです。現実の困難に直面して、神が約束の地、自由の地に連れて行ってくれることを疑ってはならないということです。心を迷わせ、神の約束を疑ってはならないということ。
- (警告)12節。生ける神から離れてしまうことがないように。具体的には、神の声を聞くなら、それに反抗して心をかたくなにしてはいけないということ。
- (勧め)14節。最初の確信を持ち続ける。イスラエルの民の場合、奴隷状態から解放し、約束の地に連れて行くという神の約束に信頼し続けるということ。
(黙想)
- 隠退をし、礼拝に出席して若い牧師の説教を聞いている。説教を聞いて自分の心がどう反応するのか。自分の考え、思いと違うと言って、心をかたくなにしていることはないのか。
- 信仰生活を続けていくうちに「現実」というものに惑わされ、聖書が告げる神の約束に対して心をかたくなにしていないか。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神、今日も聖書を読むことができ感謝です。私はあなたを信じ、聖書に親しみ歩んでいます。生ける神であるあなたから離れているという事実はないと思っています。また聖書を読み、デボーションを行い、自分が心をかたくなにしているとの思いもありません。あなたに守られ、信仰の道を歩むことができていることを感謝します。
- ただ「今日あなたがたが神の声を聞くなら」とあったことが気になりました。自分は本当に神の声を聞いているのか、との思いが残ります。今、クリスマス礼拝の説教の準備をしていますが、煮詰まっているというか、行き詰まっています。自分の語りたいことを語るわけにはいきません。今一度心をむなしくして聖書テキストを繰り返し読み、あなたのみ声に聞きます。導いてください。
☆与えられた導き
- 聖書テキストを繰り返し読む。
一日の終わりに
12月24日の説教はヨハネ福音書1章1~5節。
4節に「言の内に命があった」。この「あった」という表現。これは証言言葉。ヨハネは「言の内に命があった」ことを知っていた。体験していた。だから「あった」と表現できた。これは証言の表現。ここから説教の言葉が導かれた。感謝。