列王記下 1章
2017年7月31日
(内容)
- アハズヤ王は病気になり、エクロンの神バアル・ゼブアに病気が治るかどうか、使者を送って尋ねさせます。主の使いはエリヤに会い、アハズヤ王の使者に語るべき言葉を与えます。それは次の二点です。
#イスラエルに神がいないとでも言うのか
#あなたは必ず死ぬ。 - エリヤの言葉を聞いたアハズヤ王は、エリヤを自分のもとに連れてくるように使者を送ります。50人隊長とその部下50人です。この使者は天からの火によって焼き尽くされます。第二次の使者団もまた天からの火によって焼き尽くされます。第三次の使者団の50人隊長は、エリヤの前にひれ伏し、命乞いをします。すると主の使いはエリヤにアハズヤ王のもとに行くように告げます。エリヤは王に会い、病気が治らないこと、つまり死を宣言します。そして王は「主の言通り」に死にました。
(黙想)
- 神はアハズヤ王の行動をご覧になっています。王がエクロンの神のもとへ使者を送ると、神はエリヤをその使者のもとに遣わします。エクロンの神のもとに行くのは、「イスラエルに神がいないからか」と神は王に問うのです。言い換えると神はアハズヤ王に悔い改めを求めていると言ってよいと思います。神は悔い改めのチャンスを与えたのです。
- 王はエリヤを自分のもとに招こうとしました。しかし王は、すぐに悔い改めるべきでした。主なる神に立ち帰るべきでした。悔い改めの機会を逸しました。王はヤロブアムの道(偶像礼拝)の道を歩んでいましたから、簡単には悔い改めることができませんでした。人は慣れ親しんだ習慣、考え、歩みを変えるのに困難を感じ、自分の歩みを変えようとしない傾向があります。
- イスラエルの神は、唯一の神です。唯一の神に信頼すべきでした。しかし人間は、自分に何かを要求する神を避け、自分の願いを聞いてくれるだけの神を求める傾向があります。
(聖書が教えること)
☆神はいかなる方か
- 神さまは私たちをご覧になっているお方です。この列王記下1章を読んでいる私たちをご覧になっています。
- 神さまは私たちに悔い改めを求めるお方です。私たちの身にいつもと違ったことが起きるとき、それは神さまが悔い改めを求めていることを教えているのかもしれません。
- 神さまは私たちに語りかけるお方ですが、間接的に語られます。ある時は人を介して、別なときは聖書を通して語られるお方です。
- 神さまは畏れ敬うべきです。
☆神が求める私たちの生き方
- (警告)悔い改めは先に延ばしてはいけません。
- (教え)神さまは私たちの歩みをご覧になっていることを知り、神さまの前に私たちは生きていることを覚えることが大切です。
(実践に向けての黙想)
- 牧師の働きから引退はしましたが、福音を伝える働きは、終わっていないと考えています。インターネットを利用して、新たに発信をする計画を持っています。今朝、心の中に湧いてきた思いがあります。どれほどのことをできると思っているの?大したことができるわけではないのに。否定的な思いが湧いてきました。
- 今日の聖書は、神さまは私のこともご覧になっていると教えてくれました。否定的な思いを抱くな、と語って下さるような気がしました。感謝です。何を目的としてホームページを作るのか、何を伝えたいのか、作成しなければならないと思っていた計画書を作成することにしました。引退後も、なすべき課題を与えてくださる神さまを讃えます。