列王記上11章1~13節
2017年4月24日
(内容)
ソロモン王は多くの王妃、側女を抱えました。老境に入って偶像礼拝をするようになりました。彼女たちが信じる神々を礼拝するようになり、神の怒りを招きました。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
-神は約束とそれに伴う命令を与える方です。
-神はソロモンに言いました。「あなたがもし、あなたの父ダビデが歩んだように全き心をもって正しくわたしの前に歩み、すべてわたしが命じたようにおこなって、わたしの定めと、おきてとを守るならば、わたしは、あなたの父ダビデに約束して『イスラエルの王位にのぼる人があなたに欠けることはないであろう』と言ったように、あなたのイスラエルに王たる位をながく確保するであろう」。
☆神が求める私たちの生き方
- (警告)人は傲慢になると神さまの心に思いを向けず、神さまの戒めに背いてしまいます。
- ソロモンは、「私以外の者を神としてはならない」との神さまの戒めに背きました。絶大な権力、莫大な富を持ち、傲慢になったのです。沢山の女性を召し抱え、王であることを誇ったのです。彼を王にしたのは、彼に富を与えたのは神なのに。
- (罪)何が罪かを知らされます。4節。主と一つでないこと。主と一つ心であること、それが神さまの前に歩むことです。
(神の導きを求めて)
☆黙想
- 牧師を引退し、牧会の務めから離れた今、自由な時間が与えられています。自由な時間を用いて何をしたらいいのか、よく考えなさい、と列王記を読みながら感じました。ソロモンは多くの女性を召し抱えましたが、私には多くの時間が与えられました。その時間を用いて何をするのか、考えるように促されました。ソロモンは、王妃、側女たちに頼まれて、彼女たちが拝む神を礼拝するようになりました。つまり偶像礼を行うようになりました。自由な時間を持つようになった今、牧会している時にはできなかったことができるようになった今、与えられた時間を自分のしたいことをするようになったら、僕も主と一つではなくなる可能性があります。主と一つ心であり続ける、それが信仰者の歩みです。
- 年を取った今、残された時間は多くはありません。生きることが許されている時間は限られています。そして一日という単位で見れば、自由にできる時間が多いのです。それ故、与えられた時間を大切に用いる、それは神さまのみ心だと信じます。これからの人生設計を考えなければなりません。漠然と考えていることはあります。牧会の現場は離れましたが、福音を宣べ伝えよとの神さまの召しは死ぬまで続くと考えています。
☆与えられた導き
- 依頼されたら、説教奉仕は行う。
- 御言葉に生きる生活(デボーション)を広めたい。
- 信仰の深みを目指したい
- 健康の維持のために散歩をする。
- 家事を行う。