マタイ福音書6章1~6節 神の報い

2023年11月22日

(内容)

  • 人に見てもらおうと善行、施しをしたり祈ってはならない。人から良い評判を得たとしても、神の報いを得ることはできないから。

(黙想)

  • 神からの報いとは何か。疑問が生じる。イエスの話は、キリスト者はいかに生きるかを問う話しであり、キリスト者は人からの良い評判を得ることに心をもちいてはならないと戒められる。それではキリスト者は何を求めて生きるのか。
  • 6章の後半に、人は神と富に兼ね仕えることはできないと教えられ、何よりもまず、神の国と神の義を求めなさいとも教えられる。思い煩わず、神に信頼することを教えられる。キリスト者は神の前に生きる。そのキリスト者への報いとは何か。
  • 二種類あると考える。一つは、終末における報いである。マタイ25章のタラントンのたとえで、「忠実な僕だ。よくやった」。終末の裁きで、私たちの人生に対する総決算がなされる。このようにほめられることは神の報いである。
  • また人の子が天使たちを率いて天から降り、すべての民族を裁くとある。その時「私の父に祝福された人たち」とある。そして「天地創造の時から、お前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい」とある。この国を受け継ぐこと、これもまた神の報いである。
  • 二つ目。キリスト者は神の前に生きる。自分が神の前に生きることを意識する。それは神が共にいますことを信じての歩みである。パウロは、信仰によって義とされた者は神との間に平和を得ていると言う。このような平安に生きることができることも神の報いである。神が共にいてくださることから来る幸い、祝福は神の報いである。
  • いつも喜び、感謝できるなら、それは神の報いである。神の報いは霊的な喜びである。
  • 神からの報いと人から受ける報いは、両立しない。どちらかを選ぶことは、その人の生き方を示すと言ってもよい。何を喜びとするか、どのような生き方をするのかが決まるから。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御父>信仰に生きるキリスト者に報いる方。
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>神の前に生きること。神との交わりに生きること。
  • <勧め>神の報いを意識すること。日々の歩みの中で得られる恵みはすべて神の報いである。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神、あなたへの信仰に導かれたことを感謝します。あなたからの報いは信仰に生きる日々に恵みとして与えられていると思いました。今日は、その恵みを数えたいと思いました。そしてあなたの前に生きることを意識したいと思います。
☆与えられた導き
  • 神の恵みを数える。

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・生を与えられ、誕生したこと。
・私を育ててくれた両親を備えて下さったこと。
・あなたが私の成長をずっと見守って下さったこと。
・信仰に導いてくださったこと。
・生きることのむなしさの中にあった私の思い、まだあなたのことを知らないときに願った思い、<そのために死んでも命が惜しくないような働きに従事したい>との願いに神さまが目を留めてくださったこと。
・その祈りの結果として福音宣教者に導かれたこと。
・牧師としての働きに従事しているとき、神が生ける神であると知ることができた恵み。
・それによって確信を持って説教ができるようになった恵み
・洗礼を受けたときの賜物として、聖霊なる神が私のうちにおられることを知った恵み。
・聖霊の導きを確信して信仰の歩みができた恵み
・み言葉が真理と確信できた恵み
・信仰に生きている人たちとの出会いの恵み
・老いてなお、希望に生きる恵み
・よき伴侶を与えられた恵み
・家族を与えられた恵み
・自分の罪、罪深さを知った恵み
・自分の弱さを受け入れることができた恵み
・義とされ心に変わることのない喜びと平安を与えられた恵み
・聖書を思いめぐらす喜び

以下、略。