マタイ福音書 3章1~6節 悔い改め
2023年5月1日
(内容)
- 洗礼者ヨハネが、「悔い改めよ、天の国は近づいた」と宣べ伝え、活動を始めた。
(黙想)
- マタイは、洗礼者ヨハネの登場をイザヤ書の預言の実現と理解する。イエス・キリストによる救いを旧約の預言の実現、旧約のメシア待望の実現と考えている。
- ヨハネは、「悔い改めよ、天の国は近づいた」と語った。この言葉は、イエスが宣教を開始した時と同じ言葉である。イエスも「悔い改めよ、天の国は近づいた」と語った(マタイ4:17)。
- マルコ福音書では、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と語り、イエスは宣教を開始した。
- イエスの到来と共に「天の国、神の国」が近づいたのである。このことは人が行い、生き方をあらためる起点となる。そこで悔い改めよと語られる。神の民、イスラエルの歴史が新たな段階に入ったと言える。
- エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方から、人々がヨハネのもとに来て、罪を告白して洗礼を受けたとある。ヨハネの活動は沢山の人々に影響を与えたことが分かる。しかも、人々は罪を告白するのである。
- この時代には、ファリサイ派の人々がいた。彼らは自分を他の人と区別し、律法を守ることに努力していた。そこには神に従わず、イスラエルの国家が滅びたという歴史認識がある。多くの人が罪を告白したことは、イスラエルが神の民であることを教えている。
- ヨハネは差し迫った神の怒りを語ったので、多くの人たちが、彼のもとに来て、罪を告白した。ヨハネは悔い改めの実を結ぶように説教した。これは旧約の預言者の説教と同じである。このように説教しても悔い改めの実を結べないのが、罪を犯す人間のありようである。神の民イスラエルも同じである。
- イエスは聖霊と火で洗礼を施す。イエスの洗礼は、人を新たな人間に造りかえるものがある。人は神の御支配の中に生きる。
- 人々はヨハネのもとに来て罪を告白した。キリストを宣べ伝える説教も、罪の告白を導き、洗礼に導く役目がある。福音を伝えるとは、人々を罪の告白から、洗礼へと導くことである。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御父>私たちが罪を告白することを求める方。
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>罪を告白すること。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝します。洗礼者ヨハネは人々に悔い改めを勧め、人々は彼のもとに来て罪を告白し洗礼を受けました。
- 私たちもまた説教をし、人々を悔い改めに導き、洗礼へ導く働きを担っています。悔い改めるのは、未信者だけでなく、信仰者もまた悔い改めが必要ですね。説教を聞くこと、また聖書を読むことは、自分に悔い改めるべき点があれば、悔い改めることを教えていますね。
- 今度の日曜は説教奉仕です。罪、悔い改めという視点で、説教原稿を推敲したいと思いました。導いてください。
☆与えられた導き
- 説教原稿を推敲する。