詩編3編 主よ、立ち上がって
2023年3月21日
(内容)
- 神に信頼する詩人の信仰を嘲笑う者たちが増え、詩人は苦しんでいるが、なお神への信頼を告白している。
(黙想)
- 2節から8節までは、「わたし」である。最後の9節だけ、「あなたの民」つまり神の民に言及している。基本的には個人の助けを求める祈りだが、最後の節は、詩人が属する神の民への祝福が祈られる。
- 2~3節には、詩人の苦しみが語られる。詩人を苦しめる者たちがどこまで増えるのかと嘆く。そして多くの人が「彼に神の救いなどあるものか」と言う。
- 詩人を苦しめる者と詩人の信仰を嘲る者は別人なのか。それとも同じなのか。
- もし別人とするなら、一方で詩人を苦しめる人たちが増えており、他方で神に助けを求める詩人の信仰を嘲る人たちが多くいることになる。
- 詩人を苦しめる者と詩人の信仰を嘲る者が同じであるとすれば、詩人の苦しみは、彼の信仰が嘲られることにある。
- 詩人を苦しめる者が増えつつあること、多くの人が詩人の信仰を嘲るところから考えると、両者は同一と考えるのがよいと思う。
- 詩人は神に信頼している。しかし彼の信仰を嘲る人たちが増え続け、「彼に神の救いなどあるものか」と詩人はひどく嘲られている。
- 4~7節には、そのような状況の中にあって、なお神に信頼する詩人の気持ちが書かれている。主に向かって声を上げれば主は、聖なる山から答えてくださるという神への信頼、信仰が告白されている。神に信頼するので、夜は安心して眠り、朝、目覚めると詩人は言う。
- 7節ではいかに多くの人に包囲されても決して恐れないと詩人は信仰に立つ。
- 8節では神への嘆願である。敵を打ち砕いてくださいとの祈り。詩人に敵する者は、神に敵する者である。彼らを打ち砕き、わたしを救ってくださいと願う。
- 9節では、救いは主のもとにあると確認し、さらに神の民への祝福を神に祈っている。
- 信仰者が神に信頼するとき、その信頼を嘲る者がいる。信仰者の外から、また内から嘲る声は響く。悪魔、サタンは神に信頼するのは良い、でも本当に助けは来るのか、神など頼らず、自分の力で戦え、自分の力に頼れ、とささやいてくる。自分の内からも神に信頼して大丈夫なのか。神は本当に導いてくれるのかとの疑問、疑いが湧いてくる。
- 特に自分にとって大切なことを祈願しても、その実現がなかなか見えないとき、「神を信じることに何の意味があるのか」という信仰を嘲る声が内から外から響くことがある。
- 4~5節には、神に信頼する詩人の信仰がはっきり言い表されている。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御父>私たちの盾となる方。私たちを支えてくださる方。
- <御父>私たちの祈りに聖なる山からこたえてくださる方。
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>「主よ、立ち上がってください」と祈ること。
- <約束>声を上げれば、聖なる山から答えてくださる。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神、今私が切に願っていることがあります。自分自身のことではなく、執り成しの祈りです。一つはロシアによるウクライナ軍事侵攻に関わる祈りです。軍事力を持って他国を侵略することは赦されません。東アジアでも中国が台湾は自国の領土であると堂々と語ります。ロシアと同じように武力で台湾侵攻する可能性がないとは言えません。
- それゆえ、ロシアの軍事侵攻が失敗に終わるように祈ります。しかしロシアは大国、軍事力ではウクライナはロシアに勝てません。西側諸国が支援をしていますが、事態は膠着しているように見えます。
- この戦争のために、色んな立場の人があなたに祈っています。ロシア人はロシアの勝利をあなたに祈っていると思います。あなたはあなたでこの事態に対して、あなたのお考えがあると思います。第一は、人間が力で争うことをやめ、話し合いで解決を求めることです。平和を創り出す、これはあなたの御心です。しかし人間のエゴ、権力者の高慢がこれを妨げます。
- どのように祈るのがよいのか分かりません。でも私は自分の願いは祈ります。詩人にならって「主よ、立ち上がってください」と。
- 天の父なる神、詩人は主に向かって声を上げれば、あなたは聖なる山から答えてくださると祈っています。わたしはあなたの応答を聞きたいです。多くの人間の意志が交錯する事柄に関しては、自分の願いが御心に合致するとは限らず、祈りが聞かれないように思える事態が続きます。どのように祈れば、あなたの答えを聞くことができるのかとも思います。天の父よ、どのように祈ればよいのか、教えてください。
☆与えられた導き
- 立ち上がってくださいと祈る。
- どのように祈るか、教えてくださいと祈る。