詩編 90編(2) 喜びの回復
2023年2月9日
(内容)
- 神の怒りを受けての悲しみと回復の祈りがなされている。
(黙想)
- 7~9節で、神の怒りにより、私たちは絶え入りそうですとある。絶え入るとは死にそうだということ。また神の憤りを恐れるともある。私たちの罪は神の前に明らかだと語る。私たちの生涯は、神の怒りにより消え失せるとある。
- ここでは「私たち」とあり、「私」ではない。つまりある個人が神の怒りを受けての言葉ではなく、イスラエルの民、神の民としての「私たち」が神に向けて語り、祈っているように見える。
- イスラエルの歴史を見ると、偶像礼拝などの罪に対して、神の怒り、裁きが民の上に臨んでいる。イスラエルの国は、罪のために滅びてしまう。バビロンに国家が滅ぼされ、重立った人たちはバビロンに捕囚として連れていかれる。バビロン捕囚。神の怒りを受け、国が滅び、再建の見通しもない。辛く、やるせない状況の中に置かれている人の思いがここに語られているように見える。
- イスラエルの民は神との関わりに生きている。そして自分たちの罪の結果として神に見捨てられたような状況が続く。そんな中で、それでもなお神に慈しみを求め、喜びの日々を取り戻して欲しいと祈る。
- 人間の大きな罪は、神に対する罪であることを思う。イスラエルをエジプトの奴隷状態から救い出した神だけを主なる神として崇めるべきなのに、偶像礼拝に走ったイスラエルの民。神をないがしろにする罪。神よりも自分のことを優先する罪。そして神が不在のような状況が続く。神が御顔を隠しているような状態が続く。
- そしてこの詩篇は、人生の短さを嘆く思いと苦難や災いが重なり神に見捨てられているような悲しみ、辛さが伝わってくる。しかし詩人は信仰は捨てない。「主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ」と告白し、神への信頼に立ち、回復を祈っている。
- 詩人にとって神への信仰は大前提である。イスラエルの民の背信により、イスラエルの民の生活に災いや労苦が重なっている。人生は短く、はかない人生を送っているように見える。神の前にいかに生きたらよいのか、と知恵を求めている。
- コヘレトの言葉には、似たような状況の中でいかに生きたらよいのかの知恵が語られている。キリストを知る者は、この詩篇を読んでどう受けとめたら良いのか。
- 当時と現代では、人間の寿命に違いがある。現代は高齢化社会であり、老いの日々にあって単調な日々が繰り返されることに、ため息をつきたくなることもある。人生が短いのも長いのも問題となる。人生は長さではない。神とどのような関係の中に生きるかが大切だ。
- 詩人の場合には、神の怒りがその人生に影を落としている。苦しみを味わい苦難の日々を送っている(15節)。それゆえ、喜び祝う日々を返してくださいと祈る。切ない祈りである。
- そして罪がイスラエルの民の罪、集団の罪となると、個人は集団の罪に巻き込まれてしまう。そして集団の罪に対する神の怒りを個人も受けることになる。こういう状況は今日もある。
- 生きるとは、個人としてどう生きるかという問題と、集団の中でどう生きるかという問題がある。
- キリスト者は、まず自分の罪に対しては解決を与えられている。イエス・キリストによる贖いを信じ、罪赦され、義とされた。神の目にキリスト者は正しい者であり、罪を咎められることなく、神との間に平和を得ている。神の恵みの下に生きていることを信じることができるし、信じなければならない。
- キリスト者が属する集団の歩みとキリスト者個人の生活は無関係ではない。人間の罪がもたらす結果として、生きにくい現実がある。今の日本は生きにくい現実がある。それゆえ、犯罪に走る若い人たちがいる。そのような中で、いかに生きるのか、キリスト者の使命が問われる。
- 自分の置かれている現実がどうであれ、神に対する信仰の告白を続けたいと思う。状況によって信仰の告白が影響を受けてはならない。神は世々とこしえの神であり、私たちの宿るところである。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御父>私たちの宿るところ。
- <御父>世々とこしえに神
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>神を徹底して信頼する。
- <警告>世の現実を見て、神は何をしているのか、などと神を非難してはならない。信仰告白に影響を受けてはならない。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、詩篇90編を読むことができ感謝です。あなたを畏れることを教えられます。またあなたに喜びを切に求めるべきことを教えられます。私たちはイエス・キリストによってあなたとの間に平和を与えられ、罪に対するあなたの怒りを恐れなくてよいことを知っています。
- 同時に、私が生きている社会は人間のさまざまな罪のために問題のある社会となっており、平和な生活が確実に送れるとは限りません。連続強盗事件に対する恐れが国民の中に広がっています。ロシアの戦争に起因する様々な問題や円安が物価の上昇という問題をもたらし、私たちを苦しめています。人間は、平和を作り出すことができず、争いを生み出しています。
- 先日はトルコ、シリアで大地震が起き、多数の人命が失われ、愛する家族を失い悲嘆に暮れ、生活に困っている多数の人がいます。憂うべきことの多い時代に生きています。
- キリスト者は世の光、地の塩として社会を改善する働きに召されます。また福音を宣べ伝える働きにも召されます。教会はキリスト者を育て、良き働きができるように導きます。
- 今老いたキリスト者として自分は何をなしたらよいのかと思います。この詩篇を読み思うことは、イエス・キリストにより、私には喜びが与えられていることを思います。詩人は「わたしたちに喜びを返して下さい」と祈りますが、私はイエス・キリストによって喜びを与えられています。積極的に喜びの声を上げたいと思いました。
- 感覚を研ぎすまして、イエス・キリストによる喜びを悟りたいと思います。今日は「望みも消え行くまでに」(聖歌)を賛美し、日々の恵みを数える。一つあればそれを日記に書く。
- 教会でトルコ地震で被災した人を覚えての募金を募ると報告がありました。募金に応じたいと思います。
☆与えられた導き
・「望みも消え行くまでに」(聖歌)を賛美
・日々の恵みを記録する
・トルコ地震への募金