ヨハネ福音書 1章16節 恵みの上に恵みを
2021年12月25日
(内容)
- 私たちは父の独り子から恵みの上にさらに恵みを受けた。
(黙想)
- 父の独り子は恵みと真理に満ちていた(14節)。真理に満ちていた。イエス様は真理を語られた。いくつもの真理を語られた。神の言葉として、私たちが信じ、その上に立って生きる土台としての真理をいくつも語られた。独り子は真理に満ちている方である。
- 恵みの上にさらに恵みを受けたとある。恵みとは受けるものであり、同じ恵みを繰り返し受けることもある。次々に異なる恵みを受けるというのではなく、むしろ日々恵みを受けつつ生きると言うことではないか。
ヨハネ 4:14
しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。
- 泉からは常に水が湧き出る。滾々(こんこん)と湧き出る水を日々飲むことができる、これは言い換えると恵みの上に恵みを受けることと言ってよいのではないか。僕はこうして日々聖書を思いめぐらしている。聖書の言葉を味わう、これは僕にとっては、恵みである。この世に生きていく上で、僕を導く本当に確かなもの、それはみ言葉である。肉の欲、目の欲、生活のおごりを求める生き方は不確かな歩みでしかない。
- このような恵みがあると若い頃知らなかった。信仰を得て、そして聖書を思いめぐらすことを通して知った恵みである。この恵みは求めて与えられる恵みである。そして永遠の命に生きるとはこの恵みに生きることである。この恵みに生かされていること、誠に感謝である。神の子の声、神の言葉によって生きる者とされて、本当に感謝である。
ヨハネ 5:25
はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。
- 恵みの上に恵みを受けた、それは詩的な表現である。これを読む者は、自分の信仰を振り返り、自分にとってそれは具体的にどういうことなのか、言い表すことが大切なのではないか。日々み言葉を思いめぐらし生きることができる、それが僕にとって恵みの上に恵みを受けることと確認できたこと、うれしい。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>恵みと真理に満ちている方
- <御子>恵みの上に恵みを与える方
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>恵みを受け取ること
(神の導き)
☆祈り
- 天の父、御言葉を感謝します。改めて思います。真理を知り、真理に生きる、それが恵みであると。あなたの言葉は真理であるので、あなたの言葉、み言葉を日々求めて私は歩んでいます。そしてこれはまことに感謝なことなのだと思います。
- ヨハネ福音書の1章の14~18節は、詩的な言葉による表現だと思いましたから、具体的に自分はどうなのかと考えさせられ、自分の歩みを振り返り、自分なりに具体的に経験したことなのだと確認できてうれしく思いました。これをブログで分かち合いたいと思います。書くべきことを与えてください。主の御名により祈ります。
☆与えられた導き
- 恵みの上に恵みを受けた体験をブログに書く