コロサイ書 1章24~29節(2)

2020年5月15日

(内容)

  • パウロは、神の秘められた計画を伝える務めを神から与えられた。そして今苦しみを喜びとしながらこの務めを果たしている。

(黙想)

  • パウロは御言葉を伝える務めを神から与えられた。それは言い換えれば、秘められた計画であるキリストを宣べ伝えることである。この秘められた計画は今や、聖なる者たちに明らかにされたという。このキリストは「あなたがたのうちにいる」。このキリストに結ばれた者が完全な者となるようにパウロは知恵を尽くして教えている。
  • 秘められた計画については、パウロは以下のように語っている。

ローマ16:25~26
この福音は、世々にわたって隠されていた、秘められた計画を啓示するものです。その計画は今や現されて、永遠の神の命令のままに、預言者たちの書き物を通して、信仰による従順に導くため、すべての異邦人に知られるようになりました。

コロサイ2:2
神の秘められた計画であるキリスト

コロサイ4:3
同時にわたしたちのためにも祈ってください。神が御言葉のために門を開いてくださり、わたしたちがキリストの秘められた計画を語ることができるように。このために、わたしは牢につながれています。

コリント一2:7
わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられたものです。

コリント一1:23~24
わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。

エフェソ1:8~10
神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。

  • 以上を読むと、神の秘められた計画とは、キリストのことである。神は世の初めからキリストを救い主として世に与えることを計画されていた。それが秘められた計画と呼ばれ、キリスト自身が計画の内容だという。
  • 神が世の初めにキリストをこの世にお遣わしになることは人間には隠されているので、秘められた計画と言われている。人間の心に思い浮かびもしなかったことである。

コリント一2:9
しかし、このことは、/「目が見もせず、耳が聞きもせず、/人の心に思い浮かびもしなかったことを、/神は御自分を愛する者たちに準備された」と書いてあるとおりです。

  • エフェソ書は、終末において、すべての者がキリストにおいて一つにまとめられることが神の秘められた計画であると書く。
  • 「秘められた計画」という言葉は、キリストが救い主であるという福音は、人間の思いを越えたものであることを示している。それゆえ「ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなもの」となる(コリント一1:23)。
  • 秘められた計画、キリストについて私たちは聖書が語ることを受け入れるか拒むか、どちらかである。受け入れるとは信じることであり、私たちは信じることへ招かれている。そして信仰は聖霊の賜物である。キリスト、キリスト、キリスト。キリストって誰? キリストって何?
  • 秘められた計画(キリスト)は栄光に満ちた方である。キリストは栄光の希望。どういうことか。人は自分の栄光を求める。キリストこそ栄光である、キリストが栄光の希望である。どういうことか。今日の箇所には、キリストに結ばれた者は完全な者となるという。キリスト者にとって栄光とは、完全な者になるということか。
  • コロサイ書では、信仰者は洗礼によってキリストと共に葬られ、キリストを死者の中から復活させた神の力を信じて、キリストと共に復活させられたと書く(2:11~12)。たしかに信仰者がキリストと共に復活した存在であるということは、キリスト者の目にも隠されていると言えるかも知れない。ロマ書の6章そしてコロサイ書の2章。ここを読まなければ知ることができないし、礼拝説教でもなかなか語られない。

ローマ3:23~24
人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。

  • 人は、罪のゆえに神の栄光を受けられなくなったが、キリスト・イエスの贖いを信じ、洗礼を受け、キリストと共に死にキリストと共に復活する恵みを得ている。今やキリスト者であることは、栄光を受けていることになる。完全な者、言い換えるとキリストと同じ姿に変えられていく、それが信仰者の歩み。そしてそれは神の教えに忠実に生きることとなる。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方
  • <御子>キリストは、秘められた計画である。
☆神が求める私たちの生き方
  • <約束>御子に結ばれた人は、完全な者になる。それは信仰者の栄光である。
  • <教え>キリストは栄光の望み。御国に迎えられるとき、私たちはキリストと同じ姿に変えられて天に迎えられる。これが栄光の望み。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日もコロサイ書を思いめぐらすことができ感謝します。秘められた計画であるイエス様、イエス様が救い主として何をしてくださったのか、それは人間の思いを越えることでした。神さまの救いは人間の大いを越えたこと、それゆえ世の初めから隠されていた計画。
  • 秘められた計画であるなら、神さまが教えてくださったのだから、積極的に信じることの大切さを思います。しかし、私たちの信仰に生きている現実においてイエス・キリストの救いを秘められた計画と理解することは知らなかったというか、そういう観点で見たことはなかったです。それゆえ、救いの恵みの奥行きが理解されず、表面的に罪の赦しだけが語られてきたのではないか、と思いました。
  • 救いの恵みとして、キリストと共に死に、キリストと共に復活することがもっと語られなければなりませんね。そしてキリスト者はキリストに結ばれて完全な者とされていくことも語られなければなりませんね。しかしそのために、自分がキリストに結ばれて生きていると自覚するなら、自分は完全な者を目指して生きていることになります。
  • 天の父よ、イエス様は祈りの人でした。イエス様はあなたに従順な人でした。イエス様はあなたの御心を教える人でした。今、キリストに結ばれて完全な者とされていくことを願うとき、私はまず、イエス様のように祈りの人になることを願います。頭で信仰を理解し、信仰に生きることから祈りに生きることへと自分の歩みを変えたいと思いました。どのように祈っていったらよいのかと思います。主イエスは朝早く起きて祈られたことも、夜を徹して祈られたこともあります。自由に祈られています。自由な心で、しかし真剣にありのままの心で祈られました。明日、静かな時間を確保し、心のままに祈ります。
  • 主よ、あなたを賛美する者として、私を生かしてください。イエスの贖いの讃美歌を賛美したいです。Jesus paid it all
☆与えられた導き
  • 心のままに自由に祈る。
  • イエスの贖いの賛美を歌う。