ルカ福音書 19章28~44節
2019年1月15日
(内容)
- イエス様はエルサレムの町に入るに当たって、弟子たちにロバの子を弟子たちに連れてこさせ、ロバの子にのってエルサレムの町に向かわれました。多くの人々がイエス様を歓迎し、神を賛美しました。エルサレムに近づいた時、iイエス様は都エルサレムのために泣かれました。
(黙想)
- エルサレムの町に入る、それはイエス様にとって死を迎える時です。ご自分がメシアとしてエルサレムに入るために、イエス様は子ロバに乗られました。これは旧約聖書ゼカリヤ書9章に書かれている言葉に従ったものです。イエス様はメシアとしての自覚をもって都エルサレムに入ります。しかし、その都が自分を受け入れないことを知っておられ、泣かれます。神の裁きとしてのエルサレムの町の崩壊をイエス様は見て、泣いておられます。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- (御子)30節。イエス様はご自分がメシアであることを自覚して行動されます。聖書(旧約)をよくご存じで、メシアとして都エルサレムに入ろうとされます。しかもエルサレムでご自分が亡くなることを承知しています。自分の死を前にして、メシアとしての自覚に立ち、子ロバに乗ってエルサレムの町に入られます。
- (御子)41節。都エルサレムにはイスラエルの指導者たちが住んでいます。彼らはメシアとしておいでになったイエス様を信じません。イエス様を信じない都が近いうちに崩壊する様をイエス様は語り、泣かれます。メシアを信じない者の滅びをイエス様は泣いておられます。
☆神さまが私たちに求める生き方
- (模範)イエス様は御自分の死を前にして、メシアとして自覚的に行動されました。メシア預言とされる聖書の言葉通りに行動され、ご自分がメシアであることを示されました。自分が何者であるかを知り、自覚的に生きることは模範です。私たちはキリスト者です。このことをどのように自覚し、キリスト者として生きるのか。課題です。
- (模範)イエス様は滅び行くエルサレムのために泣いています。「人の子は、失われた者を捜して救うために来たのである」(19章10節)を思い起こします。あるいは「悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない99人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある」(15章7節)を思い出します。人が滅びるのをイエス様は泣かれました。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま。イエス様がまもなく都エルサレムで苦しみを受けなくなることを承知しておられます。そしてメシアとしての自覚から、子ロバに乗り、メシアとしてのご自分を人々に見せました。私は70歳を過ぎました。平均寿命という点では、まだ死は遠い先となりますが、いつ死んでもおかしくない年齢になっています。この時、キリスト者としての自覚を持っていかに生きるのか、問われる思いがします。今ひとつの課題が与えられていると考えています。それは福音とは何かを自分なりに整理してまとめること、それを伝えることです。今、月二回の説教奉仕が与えられ、ローマの信徒への手紙を説教しながら、福音を明らかにし、伝えています。あなたに牧師に召されたのですから、聖書から教えられ、私が信じる福音はこれです、と示すことができることが願いです。是は今取り組んでいる最中です。今日もロイドジョンズのロマ書講解を読み、学びたいと思います。
- イエス様は滅び行くエルサレムのために泣かれました。不信仰の人間の滅びを泣かれました。これは真似をしたくても、今の私にはできません。一つには神の裁き、最後の審判がリアルなものと感じることができないことがあります。疑うわけではありませんが、現実感がないのです。切迫感がないのです。他方で、人間の死は罪の結果であり、決して自然現象ではないことを聖書から教えられます。人が死を恐れるのは、神を信じないからです。私自身死を恐れましたが、あなたを信じて、この恐れから解放されました。この国においては、あなたを信じない人が沢山いて、自分の死後のことについては漠然とした希望を抱いているようで、救いを求める気持ちがないように思えます。彼らはあなたを信じない選択をしているのです。彼らの滅びを泣いて悲しむ、なかなか真似ができません。結局、最後の審判というあなたの裁きのあることを本当には信じていないということなのでしょうか。
- まずはイエス様のように他者の滅びを悲しむことができるようになりたいと願います。同時に私たちが抱く死を越える希望を明らかにしていきたいと願います。トゥルナイゼンの葬儀説教『御手に頼りて』に出てきた聖句の一覧表を作ります。これは前から作りたいと考えていたので、これを作ります。また死を越える希望について寄稿した原稿を証しとしてブログに載せます。イエス様のように泣くことのできる者となれるように祈ります。
☆与えられた導き
- 今日もロイドジョンズのロマ書講解を読む
- イエス様のように泣くことのできる者となれるように祈る
- ブログを更新する