マタイ福音書 6章25~34節 明日のことを思い悩むな

2024年5月22日

(内容)

  • 明日のことまで思い悩むな。その日の苦労はその日だけで十分である。

(黙想)

  • この段落では、最初「何を」食べるか、着るかについて思い悩まないようにイエスは語った。これらは生きるために必要なものであるが、生きる目的ではない。神の国と神の義を求めるなら、神は必要な物を与えてくださると教えた。
  • その上で「だから」と告げ、明日のことまで思い煩うなと語る。明日はどうなるか分からない、でも思い煩うなとのイエスの教え。先に述べた思い煩いとは質の違う思い煩い。明日どうなるのか心配だ、との思い煩い。人間は自分の将来を自分に手でどうにかできるものではない。明日何が起きるか分からない。明日のことを思い煩う、だれもが思い悩むし、思い悩んでも解決はせず、思い煩いから人は解放されない。
  • 神の国と神の義を求めるなら、キリスト者の人生は神の御手の中にあり、明日のことを思い煩わなくていいとイエスは教える。
  • 明日は何が起こるか分からない。現在の状態がさらに悪くなるかも知れない。思いがけない悪いことが起きるかもしれない。心配しだしたら切りがない。
  • 自分の人生を神にゆだねるのか、それとも自分の力で何とか思い通りの人生にしようとするのか。自分の力で何とかしようとする限り、思い悩みは続く。
  • 大事なのは、神の国と神の義を求めることである。
  • 具体的に何か思い悩むことがある場合どうするのか。ただ神にゆだねるだけでいいのか。神は私たちに何かをするように言われないか。神にゆだねることと、何もしないで神任せにすることは違うだろう。

(聖書の教え)

☆神はいかなる方か
  • <御父>私たちに必要なものをご存じの方である。
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>神の国と神の義を求め、神にゆだねること。
  • <勧め>明日のことは思い悩まない

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝です。人間は色々なことに思い煩いますが、神の国と神の義を求めて、あなたに信頼していくことが大切ですね。
  • 私は今、説教奉仕の機会が与えられています。礼拝出席者の少ない小さな教会が多いですが、その教会の将来を案じます。どの教会も年々、礼拝出席者が少なくなり、いずれ礼拝が成り立たなくなる事態が予想されます。伝道の実がすぐに結ぶとは限りません。実際に閉鎖されていく教会もあります。
  • これは私の個人的な問題というよりは、共に担う課題です。そして私は隠退牧師であり、担うと言っても、小さなことしかできません。
  • だから、自分にできることは行い、それ以外のことは思い悩まず祈ることにすれば、いたずらに思い煩うことがなくなりますね。自分の役割は何で、何を祈ればいいのか、あなたの前に生きる信仰者として考えたいと思います。導いてください。
☆与えられた導き
  • 自分の役割を考え、何を祈るのかを考える。