ルカ福音書 10章25~37節

2018年7月16日

(内容)

  •  ある律法の専門家がイエス様に「何をしたら永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」と問い、イエス様が隣人愛の教えを語ります。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • (御子)26節。イエス様は、解決を求める私たちに「聖書に何と書いてあるか」と問いかける方です。律法の専門家は永遠の命を得るためにどうしたらよいかとイエス様に尋ねました。イエス様は「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と答えています。
  • 問題の解決をイエス様に求めるとき、イエス様は「聖書に何と書いてあるか、あなたはそれをどう読んでいるか」と私たちに問いかける方です。ここにも、日頃聖書に親しむことが大切な理由があります。聖書に親しんでいれば、聖書に答えを見いだしやすくなりますし、聖書を読む中で、答えが与えられることがしばしばあります。
☆神が求める私たちの生き方
  • (教え)28節。永遠の命は獲得するものではなく、それを生きるものです。
  • イエス様は「それを実行しなさい。そうすれば命が得られる」と答えます。どうすれば命が得られるのか、との問いに、こうすれば得られると問答がなされたことになります。
  • 気になったのでギリシャ語で読んでみると、ここは「それを行いなさい、そうすれば生きるでしょう」と訳すことができます。律法学者は永遠の命を獲得の対象と考えています。どうしたら手に入れることができるか、と獲得の方法をイエス様に尋ねています。しかし、イエス様は、獲得方法を答えているのではなく、むしろ永遠の命に生きることを教えています。
  • 命ある者は生きています。命を失えば死にます。永遠の命を持つ者は、永遠の命に生きるのです。永遠の命を持つ者は、隣人愛に生きるとイエス様は教えています。
  • 大切なことは永遠の命をもっているかどうかではなく、永遠の命に生きているかどうか、です。イエス様を信じる者は永遠の命を与えられ、永遠の命に生きる者とされています。
  • (教え)30~37節。「わたしの隣人は誰ですか」という問いではなく、「だれの隣人に私はなるのか」が正しい問いであることを教えられます。「わたし」が中心なのではなく、「他者」が中心なのです。だから隣人愛なんです。
  • (勧め)37節。イエス様は「行って、あなたも同じようにしなさい」と命じられます。隣人愛の戒めを知っているだけでは、永遠の命に生きることにはなりません。永遠の命に生きる人は、実践するのです。あなたは誰の隣人になるのでしょうか。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父、今日も聖書を読むことができ感謝します。永遠の命は持つものではなく、この命を与えられた者として生きることが大事であると教えられました。神の教えに生きるとは、神さまの心と自分の心を一つにすることです。神さまと心を同じにすることができる、それが永遠の命であると信じます。神さまと心を一つにする者が、神の国に生きることになると信じます。大切なことは、あなたと心を一つにすることですね。
  • 一昨日からこの聖書の箇所は読んでいて、隣人愛の実践ということを心の中で思いめぐらしていました。昨日、礼拝に出席しましたが、ある方が欠席していました。先週も欠席でした。暑い日が続いているので、辛い日々を送っているのではないかと思います。私自身もこの暑さで、ストレスを感じています。その方のことが少し気になりました。親しくしているわけではありませんが、声をかけてみたくなりました。暑中見舞いの葉書を出してみたいと思います。
  • 天の父、牧師職を引退はしましたが、伝道困難と言われる中、どのようにしたらよいのか、との思いはいつもあります。今日の聖書では、私たちが「どうしたらよいですか」と尋ねるとき、イエス様は「聖書には何と書いてあるのか」と問いかけるお方であると教えられます。聖書にはどう書いてあるのか。ふと思い出します。「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい」。地道に御言葉を宣べ伝えることなんですね。このテモテの言葉にはまだ続きがあります。「とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです」。忍耐強く十分に教えるのですとの言葉が、心に残ります。
  • 今G教会に月に二回説教の奉仕をしています。説教の主題として、福音とは何かをテーマにして説教をしています。忍耐強く教えるのですね。焦らずに、忍耐強く、祈りをもって御言葉を宣べ伝えますので、導いてください。今度の日曜日は説教をします。準備の時を導いてください。
☆与えられた導き
  • 暑中見舞いの葉書を出す。
  • 伝えるべきメッセージを十分に伝えることができるように祈り、準備する。