列王記下10章
2017年9月18日
(内容)
北イスラエルの王になったイエフは、アハブの子たちを皆殺し、アハブの家を断絶するとの神さまの御心を行いました。さらにバアルの預言者を皆殺し、バアルを礼拝するための神殿を破壊し、イスラエルからバアル礼拝を一掃しました。そのことは神さまは喜ばせました。しかしイエフはヤロブアムの道を離れることはなく、金の子牛像にひれ伏して、主なる神さまを礼拝し続けました。金の子牛によって主を礼拝する偶像礼拝がイスラエルからなくならないので、神さまは、イスラエルを衰退させることにしました。
(黙想)
- イエフはアハブの子たちをみな殺しました。これは神さまは喜ばれ、イエフは「わたしの心にあった事をことごとくアハブの家に対して行った」と語られました。イエフは神さまの御心を行いました。さらにイエフはバアル礼拝を一掃し、異教の神々に対する礼拝をしなくなりました。これも神さまを喜ばせることであったと思います。しかしイエフはヤロブアムの罪を離れることはしませんでした。ヤロブアムが造った金の子牛の前にひれ伏して神さまを礼拝したのです。そしてイエフは、主の律法に従って歩むことをしなかったと書かれています。
- 主なる神さまはなぜ、像を造り神さまを礼拝することを禁じたのか。神社仏閣が多い奈良では、沢山の人がお寺に行き、本堂に祀られている仏像の前に手を合わせます。あるい神社の拝殿で人々は手を合わせます。その時、人々は自分の幸せを祈り願います。
- 私たちが像を造り、その前で礼拝をするとどうなるでしょうか。私たちも自分の幸せを願って手を合わせ、いけにえを献げることになります。自分の思いを伝えることが主となり、神の言葉を聞くことがなくなり、神さまの心を大切にする心が失われていきます。人間には自分の心を最優先したいとの思いがあり、その結果、神さまの心、他者の心をないがしろにする傾向があります。聖書は愛することを教えます。愛するとは相手の心を大切にすることです。愛し合うとは、互いの心を大切にし合う関係を築くことです。
- 像を造り始めると神さまの心をおろそかにするようになります。教会には神さまの像はありません。教会の礼拝では、福音が宣べ伝えられます。神さまからのよき知らせが宣べ伝えられます。私たちは神さまの御心を知り、御心に従うように、勧めを受け、礼拝を献げます。でも、私たちもまた神さまのみ心をないがしろにし、自分の思いを最優先にする罪を犯さないとは限りませんし、いや実際には、この罪を犯す日々を過ごしていると言っても間違いではないと思います。
- ハイデルベルク信仰問答は、「わたしは神と自分の隣人を憎む方へと生まれつき心が傾いている」と教えています。私たちは自分の心を優先するように心が傾いていると教えています。
(聖書に聞く)
☆神さまはいかなる方か
- 神さまはイエフが異教の神々を一掃したことを喜ばれました。神さまは真の礼拝を喜ばれるお方です。
- 神さまはヤロブアムの道、つまり像を用いて神さまを礼拝することを禁じておられます。その時、神さまのみ心を大切にしない礼拝が行われるからです。
☆神さまが私たちに望まれる生き方
- (避けるべき行動)神さまのみ心を大切にする思いなしで礼拝すること。礼拝の帰り、自分がどんな思いで帰途に就くかを振り返ると、自分の心が分かるのではないか。
- (命令)神のみ心を大切にすること。神さまのみ心を大切にするとき、私たちは自然に神さまの教えを行えるようになります。
(神さまの導きを求めて)
☆祈り
- 天の父なる神さま、ヤロブアムはアハブの家を断絶し、「わたしの心にある事をことごとく行った」と神さまに喜ばれました。しかし彼はヤロブアムの罪を離れず、金の子牛の前にひれ伏す礼拝を続けました。「あなたはいかなる像も造ってはならない」との戒めを破っています。
- 私たちの礼拝では、福音が宣べ伝えられ、私たちを救う神さまのみ心が説教で説かれています。私たちの教会には像は置かれていませんが、礼拝に参加する私たちが神さまのみ心を大切にしているかどうかは、吟味する必要がありますね。私たちには、自分の心を最優先にする傾向、つまり罪があるからです。最近わたしが悔い改めたのはいつでしょうか。何を悔い改めたのでしょうか。わたしは何を大切にして生きているのでしょうか。神さまのみ心を大切にする信仰を与えてください。
- 次週の礼拝のために祈ります。「説教者、会衆が悔い改めてあなたの心を大切にし、あなたを愛して、説教の準備をし、また説教を聞く備えをすることができるようにしてください」。
- 主の再臨について説教する予定でいましたが、主の再臨とそれに伴う裁きを行う神さまのみ心はどのようなものか、思いをめぐらして説教の準備をしたいと思いました。これは11月のアドベントの時の説教にしたいと思います。時間のあるときは思いめぐらします。
(与えられた導き)
- 次週礼拝のために祈る。「説教者、会衆が悔い改めてあなたの心を大切にし、あなたを愛して、説教の準備をし、また説教を聞く備えをすることができるようにしてください」。
- 11月の説教予定を手帳に書く。