ローマ書 8章1~4節 罪に定められない

2024年5月15日

(内容)

  • キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはないとパウロは語る。大胆な発言である。

(黙想)

  • 1節は「従って」で始まる。この「従って」は、7章の終わりの言葉を受けたものとは考えられない。8章1節は、5章の最後と結びつく。つまり6章と7章は挿入部分となる。挿入が終わり、8章の1節が5章の最後から続く。
  • ロマ書のこの文脈理解を僕は、ロイドジョンズから学んだ。彼の理解は正しい。6章と7章が挿入であると気づかない人は、ロマ書の文脈理解を間違う。その人たちは3章の21以降でパウロは義認を語り、6章と7章で聖化を扱うと語る。それはパウロの意図を見失っていることになる。
  • パウロは3章21節から、5章の終わりまで、義認について語り、特に5章では、信仰によって義とされるという恵みの賜物の豊かさが語られてきた。するとそこで疑問が生じることになる。その疑問に答えるのが6章と7章である。
  • どんな疑問が生じるのか。恵みによって義とされるのなら、もっと罪を犯して恵みを得てもいいのではないか。こういうひねくれた考えをする人が出てくる可能性がある。また信仰義認の教えは、罪を犯すように勧めているとの非難が起きる可能性もある。これらの疑問にパウロが答えるのが6章である。
  • この6章と7章で「知らないのですか」という言葉が心に残る。文脈を捉える上で大切な言葉である。
  • 6章1節で「恵みが増すようにと、罪の中にとどまるべきだろうか」と問いかける。これに対して、「罪に対して死んだわたしたちが、なおも罪の中に生きることができるのでしょう。それともあなたがたは知らないのですか」と書く。
  • そしてキリスト者は洗礼を受けキリストに結ばれ、罪から解放されたと指摘する。罪から解放された者が罪の中にとどまるなんてありえないとパウロは疑問に答える。そしてキリスト者は、律法の下ではなく、恵みの下にいると結論づける。
  • 15節でも同じ問いを投げかける。「わたしたちは律法の下ではなく、恵みの下にいるのだから、罪を犯してよいということでしょうか。決してそうではない。知らないのですか」。
  • これに対しても私たちは罪から解放され、義に仕える者となった(18節)。罪を犯すなど考えられない。むしろ「聖なる生活を送りなさい」と書く(19節)。
  • パウロは、私たちは恵みの下にあり、律法の下にはいないと書いた(6:14)。この言葉は、律法を軽んじるような印象を与えるし、律法の下にはいないとなると、キリスト者にとって律法とは何かという疑問が生じる。パウロは7章でこの疑問に答える。
  • 「律法とは、人を生きている間だけ支配するものであることを知らないのですか」(7:1)。
    キリスト者はキリスト共に死んだので、律法の下にはいない。律法から解放されていることを伝える。このように言うと、律法を否定しているように見える。
  • そこで「律法は罪であろうか。決してそうではない」(7:7)と語り、律法の下にある人間、ここでは「わたし」はどのような歩みをするかが語られる。律法の下にある人間は、結果的に、「わたしはなんと惨めなにんげんなのでしょうと告白するに至る。
  • こうしてパウロは、キリスト者は恵みを受けるのだから、罪を犯してもいいという間違った考えを否定する。むしろキリスト者は罪から解放されて聖なる生活をすることを告げる。そしてキリスト者は律法からも解放され律法の下にいないことを告げる。
  • キリスト者は律法を捨てないし、律法を全うするものであることは5章の最後で語られていた。8章でも語られる。
  • パウロは信仰によって義とされるとの教えの持つ豊かさ、すばらしさを紹介し、8章の1節で、キリスト・イエスに結ばれた者、信仰によって義とされたものは、罪に定められることはないとあらためて確認する。

(聖書に聞く)

☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>キリストに結ばれている者は、義とされていることを信じ確信する。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日もディボーションでき感謝です。キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありませんとあります。罪に定められることがない、とは大胆な発言です。でもこれが福音です。少なからぬクリスチャンが「自分は罪深い」と語ります。これは「罪に定められることがない」とのメッセージとは調和しません。つまり聖書のメッセージがきちんと伝えられていない可能性があることを思います。言い換えると私たちの福音理解が歪められている可能性があります。
  • なぜ罪に定められることがないのか、パウロは5章で説明しました。パウロは、「罪に定められることがない」と断言することができました。私も断言できるのか、と思うと、自分の言葉でまだ説明できない部分があるように思います。その意味では、5章の理解をさらに深める必要のあることを教えられます。
  • 今週は、毎日、5章をゆっくり読んでみたいと思います。自分の理解の弱さがどこにあるのか、探りつつ読んでみたいと思います。
☆与えられた導き
  • 5章を毎日、味わい読む。