ルカ福音書 23章44~49節 御手にゆだねます
2024年3月27日
(内容)
- イエスの死ぬ直前の言葉が記録されている。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」。これがイエスの亡くなるときの言葉だった。
(黙想)
- 4つの福音書は、十字架上のイエスの言葉を記録している。マタイとマルコは同じ言葉であるが、ルカとヨハネは違う。なぜ違うのか。それは、イエスをどう描こうとするのか、その目的の違いにあると思われる。ルカ福音書は次の出だしで始まる。
1:1~2
わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています。そこで、敬愛するテオフィロさま、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。
- ルカはイエスの活動を過去の出来事とし、イエスの生涯について順序正しく書くと語る。
- マタイ、マルコのようにイエスが何のために十字架で死んだのか、その死は贖いの死であったという十字架の死の意味を語ることはしない。ルカのイエスは、自分の使命を果たし終えて死ぬイエスを描く。ローマの百人隊長は、「本当にこの人は正しい人だった」と語り神を賛美した。マルコ福音書では、「本当に、この人は神の子だった」と語る。
マルコ福音書の冒頭の言葉は「神の子イエス・キリストの福音の初め」である。マルコは福音を語る。だからイエスの十字架の死が贖いの死であると語り、百人隊長は「この人は神の子だった」と語る。 - ルカの場合は「正しい人」。ルカはローマ帝国の中にあってキリスト教を弁明する意図があったと言われる。それゆえ「正しい人」と百人対象に告白させている。さらに言えばイエスは殉教者として描かれているようにも見える。
イエスは正しい人として地上の生涯を終える。そして自分の使命を果たし終え、自分の霊を神にゆだねると語り死んでいく。 - 死に際し、自分の霊を神にゆだねるのは、すべてのクリスチャンに共通している。キリスト者は自分の死に際し、イエスに倣い、自分の霊を神にゆだねて死ぬ。神にゆだねた後、終わりの時に復活し、神の審判の後、神の国に迎えられると信じて命を終える。神にゆだねるとは自分の死後のことについて、自分では何もできないということである。
しかしゆだねることができる、ここにキリスト者の希望がある。
コリント一8:6
わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰って行くのです。また、唯一の主、イエス・キリストがおられ、万物はこの主によって存在し、わたしたちもこの主によって存在しているのです。
- 世の多くの人々は、宿命として自分の死を受け入れ、死んでいく。死は人間の無力さを示す。
- 信仰者は、神のもとに帰る。神の自分の霊をゆだねて死んでいくイエスの姿を模範と受けとめる。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>神の自分の霊をゆだねて十字架で死んだ方。
- <御父>我々の霊をゆだねることのできる方。ゆだねるべきお方。
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>死に際し、自分の霊を神にゆだねること。
- <模範>死においてもイエスを模範として、自分の霊を神にゆだねることができる。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝します。
- 私は地上の信仰の歩みであなたに信頼し、あなたの導きにゆだねて歩んできました。人生の最後で、あなたの自分の霊をゆだねるので、ゆだねても大丈夫だという確信できる心を育てるべく、地上の歩みにおいて、あなたにすべてをゆだねて歩んできました。
- 年を重ね、いつ地上の生を終えてもおかしくない身となりました。あなたにゆだねて生を終えることが大きなそして最後の課題になります。生涯の終わりまで、あなたにゆだねて歩むことができるように助け導いてください。あなたの導きを信じ、あなたのゆだねて歩みます。今日は讃美歌の494番を賛美します。
☆与えられた導き
- 讃美歌494で神を賛美する。