マタイ福音書 4章12~17節 大きな光を見た
2023年5月23日
(内容)
- 洗礼者ヨハネが捕らえられたと聞いたイエスは、ガリラヤのカファルナウムの町に住み、「悔い改めよ、天の国は近づいた」と宣べ伝え始められた。
(黙想)
- 洗礼者ヨハネはメシアの先駆者。ヨハネが捕らえられ、イエスの活動が始まった。すでにイエスは、洗礼者ヨハネから悔い改めの洗礼を受けいていた。先駆者の活動が終わり、メシアとしてのイエスの活動が始まった。
- メシアの登場についてマタイは、預言者イザヤの預言の実現であると書く。マタイはイエスの活動は預言の実現と書く。マタイ福音書を読むと、色々な場面で預言の実現とマタイは書いている。メシアの出現、メシアによる救いは、神の計画であったことを知る。
- 暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。これがイザヤの預言。暗闇に住む民は、光を見た。彼らは希望を抱いた。光が射し込んだという表現は、救いが人々のもとに訪れたことを意味する。イエスは救いをもたらす方なのである。
- 暗闇、死の陰の地は二つの意味があると思う。一つは政治的な意味。イスラエルはローマ帝国の支配下にある。これは喜ばしい状態ではない。メシアはこのような他国の支配から自国を解放する方として期待される。イエスはそのような方として期待された面がある。その期待にイエスが答えることはしなかった。
- もう一つの暗闇、死の陰は、霊的なものである。罪の支配下、死の支配下にあることを指す。イエスは霊的な救いをもたらす方としておいでになった。
- そしてイエスは「悔い改めよ、天の国は近づいた」と宣べ伝え始めた。天の国の到来という新しい事態が生じつつある。生じている。だから生き方を変えよという。暗闇の中から光の中に生きることができるようになったのである。天の国の中に生きることができるのである。天の国とは、神の御支配を意味する。罪の支配、死の支配の中から神の御支配の中へと生き方を変えること、それが悔い改めである。
- 聖書を通して、イエスが何をしたのか、神がイエスを通してどのような救いをもたらしたのか、我々は知っている。その救いに生きることが大切となる。
- 若い頃、僕は暗闇の中にいた。死の陰の地に住んでいた。イエス・キリストに光を見たし、僕の生活に光が射し込んだ。信仰に導かれ、牧師へと導かれ、福音を宣べ伝える働きをしてきた。そして今は、御国を目指して歩んでいる。しかしふとまだ見ぬ未来への疑問が浮かんでくる。「本当に神の国は来るのか。それを信じていいのか」との悪魔の声が響いてくる。
- 僕は福音を知らされ、光を見たし、僕の人生に光が射し込んだ。そして今まで生きてきた。悪魔に退けという必要がある。悪魔の声が聞こえてくるのは、僕の心にスキがあるからなのか。それはわからない。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>光として世にやってきたメシア、救い主
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>悔い改めて、生き方を変える。暗闇から出て光に生きる。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日は、考えさせられました。自分は暗闇の中で光を見、私の人生に光が射し込みました。そして光の中をこれまで歩んできました。人生の終わりに近づき、不安、疑いが心に浮かんできます。悪魔のささやきと受けとめます。
- 過去を振り返り、あなたの導きを、あなたの救いを数え上げることが、サタンがもたらす、疑いに対する抵抗となり、疑いを捨てることにつながると思います。私は信仰者として歩みます。
- 聖書の教えで言えば、終わりの日の裁きの教えをきちんと受けとめることが大切と知ります。サタンは、終わりの日の裁きなどない、死んだら何もない、と告げるだけです。キリストによる救いとは、終わりの日の裁きからの救いです。終わりの日の裁きについて、向き合う必要がありますね。天の父よ、導いてください。
- 今日は昔読んで心に残ったK牧師の説教を思い出しました。K牧師もまた自分につきまとう疑いについて書いていました。もう一度読んでみたいと思います。
☆与えられた導き
- K牧師の説教を読む。