詩編 139編 とこしえの道
2023年2月21日
(内容)
- 詩人は、自分のことをよく知っている神に、とこしえの道に導いてくださいと祈る。
(黙想)
- 詩人は1節で「主よ、あなたはわたしを究め、わたしを知っておられる」と語る。そして23節で、「わたしを究め、わたしの心を知ってください」と祈っている。
- 24節の「迷いの道」を「偶像礼拝の道」(聖書協会共同訳)。口語訳聖書は「悪しき道」とある。どの訳も「とこしえの道」と訳すのは同じである。要は神の御前に正しく歩むことができるようにとの願いである。旧約聖書を読むと、偶像礼拝へと人々は正しき道からそれていく。
- 詩人は、自分としては神の前に正しく歩んでいるとの思いがあるが、人間は完全ではない。いつ道を外れるかわからない。そのことを詩人は知っている。それで自分の心を調べ、とこしえの道に導いてくださいと祈る。
エレミヤ 18:15
しかし、わたしの民はわたしを忘れ/むなしいものに香をたいた。彼らは自分たちの道、昔からの道につまずき/整えられていない、不確かな道を歩んだ。
- ここでは「自分たちの道」「昔からの道」とある。信仰者は、歩むべき道につまずき、それることが多々ある。
- 私たちが歩むべき道は、福音を信じ、福音に応答して生きる道。言葉では色々説明できるが、要は、神を愛し、隣人を愛して生きることである。それには礼拝で説教を聞き、自分の家では日々聖書に親しみ、御言葉によって自分の歩みを整えることが大切になる。信仰によって生きることが大切となる。
- キリスト者といえども、自分の思いによって生きるなら、それは自分を神とする偶像礼拝をすることになる。聖書を読んで生きることを訓練されないなら、キリスト者は偶像礼拝の道、迷いの道に入ってしまうかも知れない。
- いや、自分は真っ直ぐに歩んでいるつもりでも、人間の生きる環境、状況は変化していく。僕は今、老いの中にある。老いを生きることは、若いときにはできなかった。今老いをどう生きるか、それは今の僕の課題となる。そして牧師の務めからは隠退した。時に説教奉仕をすることもある。そんな中で、どのように歩むのがよいのか、正解はない。聖書を読み、祈りつつ、日々歩むだけである。
- 今年は課題が与えられた。それに誠実に歩むことが大切だ。祈りつつ歩もう。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御父>神は私のことを究め、よくご存じである。
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>自分を知ること。神の視点で自分を見ること。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、あなたは私のことをご存じです。私は自分のことを知っているつもりでも、気づかない点があります。自分を振り返り、自分に気づき、歩みたいと思います。
- 特に今年は(神の愛を深く知る)という課題を与えられているので、この課題にいかに答えていくのかをきちんと考え、祈り、取り組んでいきたいと思います。
☆与えられた導き
- 祈りをもって課題に取り組む。準備として何をしたらよいのかを考える。