マルコ福音書 9章42~50節 自分の内に塩を持つ
2022年8月5日
(内容)
- 人をつまずかせること、あるいは自らをつまずかせることへの警告がなされる。
(内容)
- 小さな者のひとりをつまずかせることに対して警告がなされる。もし自分がつまずかせるなら、石臼を自分の首にかけられて海に投げ込まれる方がよいという。イメージするだけで恐ろしい。
- つまずかせるとは、人を神から離れさせることと理解する。自分の行いを見た人が、神を信じることをやめるのである。信仰の証しをして人を信仰へ導くのと逆である。人をつまずかせるなら、石臼を首にかけられて海に投げ込まれる方がよいとは、厳しい警告である。小さな者のひとりとあるから、信仰に関心を持ちかけている人と言ってよい。
- 次は自分をつまずかせることについて。手、足、目が自分をつまずかせるとはどういうことか。手は、たとえば盗みをしたり、暴力を振るったりする可能性がある。怒りに流されて足で人を蹴ったりすることがあるかも知れない。目は色々なものを見るので誘惑に遭う可能性がある。みだらな思いで女性を見れば姦淫の罪を犯すことになるとイエスは言われた。自分をつまずかせるとは罪を犯すと言うことだ。
- でも手、足、目はたとえと考えていい。自分をつまずかせるものは、高慢、嫉妬、憎しみ、薄情など心の内部にある。聖書はそれらを「肉」と呼んでいる。さらに言えば、自己中心という罪がある。これらは根深くて自分の努力で解決できるものではない。
- 自分を罪に誘うものからは遠ざかることを教えているのか。それにしても強い警告ではある。いや、罪を犯すことに対しては強い警告は強すぎるということはないだろう。
- ガラテヤ書5章の19節以下に悪徳表がある。
5:19~21
肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。
- あるいはロマ書の1章にも悪徳表がある。
1:29~31
あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、殺意、不和、欺き、邪念にあふれ、陰口を言い、人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢であり、大言を吐き、悪事をたくらみ、親に逆らい、無知、不誠実、無情、無慈悲です。
- 具体的に行動に現さなくても、心の中でこれらを行っているなら、罪を犯していることになる。
- 人は火で塩味をつけられる。「あなたがたは世の光、地の塩である」との教えを思い出す。塩が塩味を失ったら役に立たなくなる。自分自身のうちに塩を持ちなさいと勧められる。具体的に何を言いたいのだろうか。
- キリスト者をキリスト者たらしめるものはなんだろうか。神の栄光を現す歩みをすること。
- 最後に互いに平和に過ごしなさい。家族、身近な人たちとの関係をよい関係に築くことが大切。
(聖書に聞く)
☆神が私たちに求める生き方
- <警告>人をつまずかせない。
- <警告>自分をつまずかせないこと。罪を犯さないこと
- <勧め>自分の内に塩を持つこと。
- <勧め>互いに平和に過ごすこと。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日は「自分の内に塩を持つこと」が心に残りました。あなたがたは地の塩であるとの教えにつながっていると思います。キリスト者はキリスト者らしさを保つことが大切です。キリスト者らしさとは何か。今日思うことは、あなたの栄光を現すことです。人は罪を犯し、神の栄光を受けられなくなりました(ローマ3:23)。キリスト者は救いを受け、神の栄光を現す者とされました。このことをはっきりとわきまえたいと思います。
- 私はどのようにあなたの栄光を現せばよいのでしょうか。花がそれぞれの花を咲かせるように、人もそれぞれの仕方で栄光を現します。8月は21日と28日説教奉仕の機会が与えられています。福音を明確に宣べ伝え、あなたの栄光を現すことができればと思います。
- あなたの栄光を現すことができるように説教の準備をします。導いてください。
☆与えられた導き
- 説教を通して、神の栄光を現すことができるように祈り準備をする。