マルコ福音書 9章30~32節 死と復活を告げるイエス
2022年7月27日
(内容)
- イエスはご自分の死と復活について今一度弟子たちに語る。弟子たちはそれがどういうことか理解できないでいた。
(黙想)
- 高い山の麓から、カファルナウムに向かう途中ガリラヤを通っていた時のこと。イエスは人に気づかれるのを好まなかったとある。「好まなかった」。どういうことか。人々がイエスに気づくとイエスのもとに押し寄せてくることが何回かあった。多くの場合、イエスは教えを語り、またいやしをなさった。人々の都合に振り回されるのを好まなかったのかも知れない。
- この箇所においては、人々が来ることはなかった。そこでイエスは弟子たちにご自分の死と復活について語った。これは2回目である。弟子たちはイエスの言葉が意味することが分からなかった。イエスが語った言葉自体は分かる。イエスは人々に捕らえられて殺される。イエスがこれから起きることを語ったことは分かる。しかしイエスはなぜ捕らえられ死ぬのか、死ななければならないのか、それは分からない。
- またイエスは復活すると語った。生き返るということか。意味は分かる。しかし死者が生き返るなんて聞いたことも見たこともない。それが起きるなんて驚きである。でも何のために生き返るのか。何で復活ということが起きるのか。理解できない。
- 弟子たちは、イエスの言葉の意味をイエスに尋ねることができなかった。「怖くて」とある。何を恐れたのか。
- 8章の31節以下でイエスはご自分の死と復活について語った。その時、そんなことがあってはならないと思ったペトロがイエスをいさめた。するとイエスはペトロを叱ったとある。あるいは9章で弟子たちが霊に取りつかれた子から霊を追い出そうとしたが、うまくいかなかった。その時イエスは「いつまであなたがたと共にいられようか。いつまであなたがたに我慢しなければならないのか」と叱っている。弟子たちは質問すればイエスから何か言われると思って恐れたのかも知れない。
- 10章32節以下でもイエスはご自分の死と復活を語っている。イエスは合計3回、弟子たちにご自分の死と復活を語った。イエスとしては、事が起きた時に弟子たちが戸惑うことがないように語ったと思われる。
- イエスはなぜ、ご自分の死と復活を知ったのか。それはわからない。イエスは、御自分は人々から排斥されて殺されること、そして復活することを知っており、そのことを受け入れている。殺されるという事態を避けようとはしていない。神さまの御心として受けとめているのだと思う。
- イエスは10章で御自分の死について語っている。
マルコ 10:45
人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>イエスは弟子たちに繰り返しご自分の死と復活について語られる。それだけご自身の死と復活に秘められた意味が重要なのである。
☆神が私たちに求める生き方
- <教え>イエスの死と復活の意味は何か、学ぶことは大切である。聖書を読んで謙遜に学び続けることが大切である。わかったつもりになってはいけない。イエスの死と復活はキリスト者の救いにかかわる。イエスの死と復活の意味を知ることは大切だが、さらに大切なことは、キリスト者がその救いを体験し、証しすることである。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝します。主イエスが三度もご自分の死と復活について弟子たちに語られました。キリスト者はキリストと共に葬られ、キリストと共に新しい命に生きるとパウロは語ります。この点については、あまり説教がなされません。キリストに結ばれて生きる恵みを味わっていないと説教はむずかしいのだと思います。このことの意味について伝えたいと思います。ロマ書のロイドジョンズ牧師の説教から今日も学びます。学びを導いてください。
☆与えられた導き
- ロマ書の説教を読む