第二コリント 6章3~10節 使徒パウロの謙遜

2021年9月10日

(内容)

  • パウロは、使徒としての働きにおいても、その実(じつ)を示していると語る。使徒としての務めを和解の務めと理解し、その働きにおいても、その働きを見ればパウロが使徒として働いていることをりかいしても明らかであると語る。

(黙想)

  • パウロは自分がキリストをどう理解し、使徒としての務めをどう理解しているかを語り、自分はキリストの使徒であることを語る。キリストに結ばれた者は、新しく造られた者であると理解し、神は罪のないキリストを罪とし、キリストを信じる者を義とし、神と和解してくださる。そして和解へ人々を招く、それが使徒の務めであると前段落で語った。
  • パウロが使徒としての働きをしている時、注意していることがある。自分の至らなさによって和解の務めが非難され、大切な働きとして受けとめてもらえなくなること。またそれに伴い、人々が自分たちのことを非難し、罪を犯させてしまうことをパウロは気にする。人は裁くという罪を犯しやすい。
  • この段落では、パウロは使徒としての自分の働きを語る。まずパウロが直面した苦しい状況が色々な言葉で表現される。そのような状況の中にあって、愛に生き(寛容、親切、偽りのない愛)、聖霊に導かれ、真理の言葉に立ち、神の力に信頼して歩んだと語る。
  • 使徒という立場の複雑さも語る。人々から栄誉を受けたり、辱めを受けることがある。悪評を浴びる時も、好評を博する時もある。パウロは、良い時も悪い時、つまりどんな時も使徒として働いてきたことを伝える。
  • 使徒の存在が逆説的であることも語られる。苦しい目に遭うから悲しんでいるのではないかと人々は思うが、実は喜んでいるという。貧しいようで、多くの人を富ませているという。経済的には使徒は貧しいが、キリストを宣べ伝え人々を霊的に豊かにしていると語る。
  • 結局、パウロが自分が使徒の務めをどう理解し、どう行動しているのか、そこに自分が使徒であることの明確な証拠があると主張している。見る目があるなら、自分が使徒であることが分かるだろうと暗黙の内にパウロは語る。パウロが苦境の中にあっても忍耐をもって神の力に頼って働いていることはパウロは傲慢に自分を主張しているのではないことが分かる。
  • 使徒としてのパウロの態度に学ぶ点。偽りのない愛。忍耐、寛容、親切、誠実。真理の言葉に立ち、神の力に信頼する。
  • パウロの姿は、牧師として自分のあり様を吟味するように迫るものがある。ただ僕は、牧師として教会に仕える任務を解かれている。現役の時はどうだったのか。デボーションをし、御言葉に聴きつつ歩んできた。自分なりに謙遜に、忠実に歩んでこれたと感謝している。

(聖書に聞く)

☆神が私たちに求める生き方
  • (模範)パウロは、自分がキリストをどう理解し、使徒の務めをどう考えているかを告げる。さらに使徒としてどのように働いているかを伝える。そして自分を使徒として認めるかどうかの判断をコリント教会にゆだねる。パウロはとても謙遜である。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、パウロの謙遜な態度に教えられます。私は教会に仕える牧師の働きから引退しました。今はしなければならない働きはなく、ある意味自由な身です。でも聖書は読み、祈りをしています。
  • 現代はインターネットが普及し、新しいコミュニケーションの媒体があります。インターネットを通して情報発信ができます。それで私はブログを通して発信をしています。福音を伝えることにつながることを願っています。デボーションをしつつ、聖書に耳を傾け、ブログによる発信を始めました。あなたのみ旨にかなうと信じて行っています。
  • パウロの偽りのない愛。忍耐、寛容、親切、誠実。真理の言葉に立ち、神の力に信頼する態度は模範です。すばらしいと思います。このようなパウロに見倣いつつ、ブログ発信を続けていきたいと思いました。発信の内容によって、受取手が確かに福音を受け取っていると思えるようにしたいと願います。年齢的にもいつまでも続けられるとは思いませんが、あなたの導きの中で続けたいです。いつも新鮮なメッセージを発信できるように導いてください。
☆与えられた導き
  • いつも新鮮なメッセージを発信できるように祈る。