第二コリント 2章14節 キリストを知る知識の香り
2021年6月29日
(内容)
- 神は、パウロたちを通して至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせる。
(黙想)
- ギリシャ語聖書を訳すと「どこにおいても私たちを通してキリストの知識の香りを明らかにしてくださる」
口語訳
わたしたちをとおしてキリストを知る知識のかおりを、至る所に放って下さるのである。
- パウロはキリストを宣べ伝える。言葉で語ることによってキリストを宣べ伝える。そしてパウロが語るとき、キリストを知るという知識の香りが漂うという。花には種類によって独自の香りがあり、香りを嗅ぐことによってそれが何の花かを想像できる。パウロの説教を通して香りが漂ってくる。その香りはキリストを私たちに知らせる香りだという。
- キリストを知るとは、キリストがいかなる方であり、どんなことをしたのか、その業績、その意義について知ることである。キリストを知る知り方には二通りの知り方がある。
- 第一は、キリストについて客観的な知識として知ることである。百科事典なのでキリストを説明するところを読めば、キリストについての知識は得られる。キリスト教大事典などを読めばもっと詳細にキリストについて知ることができる。それは客観的な知識であり、他の偉人について知るのと変わりがない。私たちには知識は増えるが、それだけのことである。
- 第二は、キリストについて知り、その結果、自分の生き方が影響を受けるというような知り方である。言い換えればキリストと出会うのである。その出会いをなかったことにはできないのである。伝道するとは、そのようなキリストとの出会いを起こすことである。
- 「キリストを知る知識の香り」とパウロは語る。香りというのは実感できるものである。
- これはどのようにして可能となるのか。聖書を読み、キリストがいかなる方なのかを明らかにすることであり、キリストのなさったことの意義を明らかにすることである。深掘りをすることが必要であり、また自分自身がキリストとどのように出会ったのかを証しすることも大切だと思う。
- パウロもキリストとの出会いを語り、キリストととのように関わって生きているかを語っている。たとえばパウロはこう語る、「キリストの力がわたしの内に宿くように、むしろ喜んで自分の弱さを誇りましょう」。パウロは自分の弱さをあってはならぬものとは考えず、キリストの力が自分の内に宿る契機となるものとして、弱さを喜んでいる。これはキリストを知ることから出てくる言葉である。こういう言葉を語るとき、キリストとの出会いを起こすことができるのではないか。
- パウロにとってキリストはどのような方であったのか、そして僕にとってキリストはどのような方であったのか。聖書から聞き取り、証しをしてみたい。
☆与えられた導き
パウロにとってキリストはいかなる方であったのか。
僕にとってキリストはいかなる方であったのか。
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