第二コリント 1章23節~2章4節 牧会者パウロ

2021年6月3日

(内容)

  • パウロはコリント訪問を予定通りにしなかったのは、コリント教会に対する思いやりからであると告げる。その訪問によってコリント教会を悲しませたくないとの思いがあると書いている。

(黙想)

  • パウロとコリント教会の間に何があったのか。
  • ①第三次伝道旅行でパウロはエフェソに来た。コリント教会の様子を知り、手紙を書いた。それが第一の手紙。
  • ②コリント教会に新たに教師が来て、パウロのことを中傷した。パウロの使徒性をコリント教会の人たちに疑わせた。そこでパウロはコリント教会に手紙を書いた(コリント二2:14~6:13、7:2~4)。そしてコリントを訪れた。コリントの人たちの誤解を解くことができると思ったが、パウロのことをひどく責める人がいた。コリント教会の人たちも、責める側に同調したらしく、訪問は残念な結果に終わった。
  • ③そこでパウロは涙ながらに手紙を書いた(2:4)。涙の手紙。
  • ④その手紙をコリント教会に送ると共にテトスをコリント教会に遣わした。
  • ⑤パウロはエフェソからマケドニアに向かった。マケドニアにいるパウロにテトスが朗報をもたらした。コリント教会の人たちはパウロのことを理解し、パウロが使徒であることを認めた。
  • ⑥パウロはマケドニアでコリント教会宛に手紙を書いている。この箇所はその手紙である。
  • 前回のコリント教会訪問でパウロは辛い目に遭った。涙ながらに書いた手紙は強い調子の手紙で、コリント教会の人たちを悲しませたかもしれない。予定通りコリント教会を訪問したら、悲しみに悲しみを重ねる結果になるかも知れないので、パウロは訪問を控えた。もしコリントに行ったらどうなるのか。
  • 2章2節。「もしあなたがたを悲しませるとすれば、わたしが悲しませる人以外のいったいだれが、わたしを喜ばせてくれるでしょう」。
  • パウロにとっては、彼を激しく責めた人が悔い改めるなら、この人はパウロを喜ばせることになるとパウロは書く。そうすれば、コリント教会とパウロの関係は回復することになる。
  • 2章3節。「あのようなことを書いたのは、そちらに行って、喜ばせてもらえるはずの人たちから悲しい思いをさせられたくなかったからです」。
  • 涙ながに書いた手紙は、パウロは間違いなくキリストの使徒であることを訴えたもので、強い調子を帯びた手紙であった。この手紙を読んで、パウロの使徒性を認めてくれるなら、安心してコリント教会を訪問できる。でも認めてくれないなら、コリント教会を訪問しても、パウロは悲しい思いをまた味わうことになる。それで訪問を変更したと思われる。
  • しかしテトスが、コリント教会の人たちはパウロのことを理解している、との朗報をもたらしたので、パウロはこの手紙を書き、コリントに行こうとしている。
  • パウロとコリント教会の間に何が起きて、どのようなやりとりがあったのか、具体的なことはわかりにくいが、パウロが牧会者としてコリント教会のために労していることがよく分かる。
  • コリント教会はパウロの伝道によって設立された教会であるが、パウロが去った後、別の教師がやってきて、パウロを非難した。コリント教会の人たちはパウロの使徒性を疑った。誤解を解こうと思ってパウロはコリントを訪問したが、帰って悪い結果となりエフェソに戻った。そして涙ながらに手紙を書いた。この手紙は功を奏し、コリント教会の人たちはパウロの使徒性を認めた。
  • パウロは使徒であるが、「あなたがたの信仰を支配するつもりはなく、むしろあなたがたの喜びのために協力する者です」(1:24)と語る。パウロは自分がキリストの使徒であることを強調し、コリント教会の人たちがパウロに従うことを要求はしない。たといコリント教会人たちが別の教師によって惑わされてパウロのことを使徒と認めなくなったとしても、彼らの信仰を支配しようとはしない。「あなたがたの喜びのために協力する者です」との言葉は、パウロのコリント教会の人たちに仕える思いを伝えている。
  • 「わたしは、悩みと愁いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました。あなたがたを悲しませるためではなく、わたしがあなたがたに対してあふれるほど抱いている愛を知ってもらうためでした」。パウロは自分が使徒であることを訴える手紙を涙ながらに書いた。でもそれは自分のプライドのためではない。コリント教会の人たちを愛する愛を知ってもらいたかったからと書く。
  • コリント教会の人たちを愛し、その信仰に仕える。たといコリントの人たちがパウロを誤解し、反感を持ったとしても、愛をもって向き合おうとするパウロの姿に感銘を受ける。

(聖書に聞く)

☆神が私たちに求める生き方
  • <模範>教会員を愛し、教会員の信仰に仕えるパウロの姿勢は大いなる模範である。
  • <模範>パウロは自分がコリント教会員に対して「あふれるほど抱いている愛」を知って欲しいと語る。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、パウロの苦労は昔話ではないことを思います。ある牧師が「前任の教会のクリスマスの写真を見ると、そこに映っている教会員の人数が年ごとに減っている」と嘆き語るのを聞いたことがあります。牧師がパウロのように謙遜に教会に、教会員に仕えず、愛することをしないとき、教会の歩みが崩れていくことを思います。それは昔のことではなく、今の話しです。
  • 牧師は、牧会の責任から離れた教会に対して、パウロのように手紙を書くことはできませんし、できるのは祈りだけです。それは同労者の罪を負い、執り成しの祈りをする務めを負うことになるということができるのかもしれません。引退した牧師は、自分が牧会した教会のために神さまの導きを祈り続けることの大切さを思います。
☆与えられた導き
  • 今日も自分が牧会した教会のために祈る。