コロサイ書 4章2~6節

2020年6月18日

(内容)

  • パウロはコロサイ教会の人たちに祈ることを勧める。自分のためにひたすら祈ること、そしてパウロたちのためにも祈ることを勧める。パウロのためには、キリストの秘められた計画を明らかにし語ることが出来るようにと。

(黙想)

  • パウロは目を覚まし、感謝を込め、ひたすら祈るように命じる。「目を覚ます」。どういうことか。「目を覚ましていなさい」という命令は聖書でも時々聞く。

「目を覚ましていなさい。信仰に基づいてしっかり立ちなさい。雄々しく強く生きなさい」(コリント一16:13)。

「どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい」(エフェソ6:18)。

「目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい」(コロサイ4:2)。

「従って、ほかの人々のように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう」(テサロニケ一5:6)。

「身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています」(ペトロ一5:8)。

  • 福音書では、終末がいつ来るかわからないので目を覚ましていなさいとの主イエスの教えがあり、主イエスがゲッセマネの園で祈る時、弟子たちに目を覚ましていなさいと言われたことが思い出される。
  • キリストの秘められた計画を語ることができるように、秘密の計画を明らかにできるようにとコロサイ教会の人たちに祈りを求めている。伝道の業は他者の祈りを必要としている。この秘められた計画については、コロサイ書の1章にパウロは書いている。「すべての人がキリストに結ばれて、完全な者となるように、知恵を尽くしてすべての人を諭し、教えています。このために、わたしは労苦しておりわたしの内に力強く働く、キリストの力によって闘っています」。真剣な業、真剣な働きである。
  • 「御言葉のために門を開いてくださり」。印象的な言葉である。福音を宣べ伝えるためには、神さまによって門が開かれることが大切である。福音は理性に語りかけ、理性が受け入れるというものではない。心の深い部分に語りかけることであり、受け入れられることだから。
  • 「塩で味つけされた快い言葉で語りなさい」。これも印象の残る言葉。塩加減で料理はおいしくもなりまずくもなる。人の心に入っていく言葉となるかならないか。伝える者は塩で味づけされた言葉を語らねばならない。塩で味つけされた言葉とはどういう言葉か。それは借り物の言葉ではない。自分の言葉でなければならない。自分の信仰から出てくる言葉。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方
  • <御父>御言葉のために門を開かれる方。
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>目を覚まして感謝を込めてひたすら祈ること
  • <勧め>すべての説教者のために「御言葉の門が開かれるように」祈ること
  • <勧め>塩づけられた快い言葉を求めること

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日は目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈ることを教えられました。どのようにすれば、このような祈りになるのかまだ分かりません。目を覚まして、それは神さまのお働きに対して鈍感にならず、日々の歩みの中であなたの御手の業を見過ごさないことと考えます。御手のわざを見て感謝しつつひたすら祈るのですね。ひたすら祈る、理屈を越えてひたすら祈る、言い換えるとあなたに信頼して祈ることですね。
  • また、あなたが御言葉のために門を開いてくださること、これはまさに私が願い求めていることです。このことを求めてひたすら祈ります。
  • またすべての説教者のために、御言葉の門が開かれることも祈ります。
  • またパウロが祈りの応援を求めているように私も祈りの応援を求めたいと思いました。福音の証しとしてブログを書いていますが、祈りの応援を求める文章を書きたいと思いました。
☆与えられた導き
  • 御言葉の門が開かれるように、すべての説教者のために祈る。
  • 御言葉の門が開かれるように、自分のために祈る。
  • 祈りの応援を求める文を書く
  • ひたすら祈る。