ヨハネ福音書14章15~17節
2020年2月6日
(内容)
- イエスを愛する者はイエスの掟を守ること、父なる神は弟子たちに真理の霊を遣わされ、真理の霊は永遠に弟子たちと共におり、弟子たちの内におられる。
(黙想)
- イエスを愛するなら、イエスの掟を守る。これは大切なイエスの言葉である。私たちはしばしば神の掟を守らなければいけないと考える。すると神の掟を守ることが信仰者の義務となり、心理的な束縛となる。いわゆる律法主義である。しかしイエスは、「わたしを愛するなら」、わたしの掟を守ると言われる。イエスを愛する人は、自然のこととしてイエスの掟を守るのである。そこには義務も心理的な束縛もない。イエスを愛するとはイエスの心を大切にすること。愛するとは相手の心を大切にすること、尊重すること。
- 大切なことは、イエスを愛すること。それと同じことであるが神を愛すること。我々が神を愛し、イエスを愛するのは、神が私を、イエスがわたしを愛しておられるからである。愛してくださるから愛するのである。神の愛、イエスの愛をどこで知るのか、いつ知るのかと言われたら、自分の罪を知るときであると思う。罪人である自分を神は受け入れ、好意的に受け入れてくださることを知るときである。
- 我々は、自分に対してひどい振る舞い、いやな振る舞い、不愉快な振る舞いをする人を受け入れることはむずかしいし、まして好意を持つことはしたくない。しかし神は、罪を犯す私たちの罪を赦し、好意的に受けとめてくださるのである。
- やはりイエスを愛するようになるのは、神の導きであると考える。理屈としてはイエスに愛されているから私たちはイエスを愛するのであるが、理屈だけではイエスを愛する心は生まれないのではないか。
- 私たちもイエスが愛して下さったように他者を愛そうとするとき、愛せない自分を見いだす。つまり「互いに愛し合いなさい」とのイエスの掟を守れない、守りたくないと考える自分の罪をさらに知ることになる。その自分をイエスは愛してくださる、受け入れてくださることを知る。そしてまた愛する努力をする。そして自分の罪を知らされる。しかしまた愛する努力をする。このような歩みの中で、イエスを愛する心が深められていくのではないか。つまりイエスの心を大切に思うようになっていくのではないか。
- 僕はそのようにして変えられてきたし、イエスを愛している。
- 真理の霊が弟子たちと共におり、弟子たちの内にいるとのイエスの言葉は、復活したイエスの言葉と考えるべきである。復活したイエスが、イエスを信じるようになった信仰者に語っている言葉。
- 真理の霊、聖霊は、信仰者と共におり、信仰者の内にいる。私たちはこのことを信じる。17節で、「あなたがたはこの霊を知っている」とある。「知っている」、つまり体験的に知っているというのである。
- 聖霊の導きを体験し、その結果として「真理の霊を知る」と言うことが言われている。
- 「世はこの霊を見ようとも知ろうともしない」とある。見ようとする、知ろうとする努力が大切なのである。そうしないと「真理の霊を知る」ことはできない。真理の霊が共にいること、内にいることを信じたら、見ようとし、知ることの努力が大切となる。
- 真理の霊は、聖書の言葉が神の言葉、真理の言葉であることを教えてくれる。真理の霊の導きを求めて聖書を読むことが大切となる。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方
- <御父>聖霊を私たちに遣わしてくださる方。
- <聖霊>聖霊は、私たちと永遠に共にいてくださり、私たちの内にいてくださる方。真理の霊である。
☆神が私たちに求める生き方
- <教え>イエスを愛する人は、イエスの掟を守る。イエスを愛することが大切。
- <勧め>真理の霊を見ようとし、知ろうとする努力が大切。そうしないと、真理の霊が私と共におり、私の内にいてくださることを「知る」ことはできない。信じることはできても。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、真理の霊について教えられたことを感謝します。今、私は真理の霊が、私と共に、わたしの内にいてくださることを知っています。なぜなら、聖書の言葉を真理として読み続けることができているからです。今日の聖書で教えられたことは、「この霊を見ようとし、知ろうとする努力」です。世はこの努力をしません。信仰者も教えられなければ、この努力をすることはできません。その意味で、多くの人に知らせたいと思いました。
- またイエスを愛する人は自ら進んで、喜んでイエスの掟を守ろうとします。イエスを愛するとき、守らなければ、という義務感や心理的束縛から解放されます。このことを知らない人も多くいるのではないでしょうか。知らせたいと思いました。イエスを愛することについて黙想し、ブログに書いてみた以を思いました。
☆与えられた導き
- 真理の霊の導きを求めて聖書を読むこと
- イエスを愛することを黙想しブログに書く。