ヨハネ福音書12章12~19節
2019年12月12日
(内容)
- イエスはロバに乗ってエルサレムに向かわれた。人々は「ホサナ、主の名によってこられる方に」と叫んでイエスを迎えた。
(黙想)
- ここの出来事は、ゼカリヤ書9章9節の預言の実現とみなされている。イエスはメシアとしておいでになったということである。群衆がナツメヤシの枝を持ってイエスを迎えるという出来事は、神のみわざか。
- 弟子たちは、この光景の意味が分からなかったが後に、イエスが栄光を受けられた時、つまりイエスが天に上げられた後、これがゼカリヤ書の預言の実現であることが分かった。メシアを預言する言葉(ゼカリヤ9:9)は実現している。
- 弟子たちは、自分で聖書を持ち読んでいたわけではないので、ゼカリヤ書の言葉を知っていたかどうかわからない。イエスが復活し、天に帰られた後、弟子たちは旧約聖書からイエスがメシアであると確認し、イエスによる救いの意味を知った。そうする中で、イエスが人々に迎えられる出来事がメシアを預言する言葉であり、実際に起きていたことを弟子たちは知るようになった。
- 私たちは手元に自分の聖書があり、読むことができる。新約聖書は、イエスが再びこの世界に到来することを告げている。さらに終末の事柄、たとえば最後の審判を預言している。今、私たちは終末の事柄を信じるだけであるが、イエスが再臨され、神の国が到来した時、新約聖書に書いてあった終末の事柄は本当だったと知ることになる。新約の預言が成就したことを知ることになる。
- 弟子たちが復活したイエスに出会い、イエスが群衆に迎えられたことが預言の実現であることを知ったように、私たちはイエスの再臨後、神の国の実現する中で、新約聖書が語る終末の事柄が本当だったと知るようになる。新約の預言されている終末の事柄を私たちは楽しみに待つことができる。死を越える希望である。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- (御父)父なる神は、預言を実現させるお方である。
☆神が私たちに求める生き方
- (教え)新約聖書に書かれている終末の事柄は、神さまが実現させる。終わりの日に、私たちは聖書に書かれていることが本当であったと知ることになる。聖書の言葉の実現をその時、知ることができる。
- (教え)イエスが預言(旧約)の実現としておいでになった。そしてイエスは再びおいてになる。それは新約の預言の実現として。この実現を私たちは、終わりの時に知ることになる。それは死を越える希望である。今はアドベントの時。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神、私たちは聖書を読み、救い主の到来を預言する言葉がイエス・キリストにおいて実現したことを知ります。イエス様がロバに乗ってエルサレムの町に入ったことは、ゼカリヤ書に預言されていましたが、弟子たちがそのことを知ったのは、後のことでした。つまりイエス様が復活し、天に上げられ、イエス様がメシアとしておいでになったことを弟子たちが知った時でした。
- 私たちは新約聖書を通して、終末の事柄が預言されていることを知ります。それはまだ実現していません。しかしイエス様が今一度到来する時に実現することを信じます。そして終末の時、私たちは新約聖書が告げる終末の事柄が本当だったのだと知ることになります。聖書の言葉が真実であったと知ることはうれしいことです。死を越える希望として、私たちにとっての預言(終末)が実現するのを見る楽しみがあるのですね。うれしく思います。
- 「あなたたちの父アブラハムは、わたしの日を見るのを楽しみにしていた。そして、それを見て、喜んだのである」とイエス様は言われました(ヨハネ8:56)。私たちもイエス様が再臨される日を楽しみにし、それを喜ぶことができますね。この喜びについて、文章を書き、確かな喜びとしたいと思います。
☆与えられた導き
- 「アブラハムの喜び、わたしの喜び」と題して文章を書く。ブログに書く。