ルカ福音書 23章50~56節
2019年4月26日
(内容)
- ヨセフという議員がピラトのもとに行き、イエスの遺体の引き取りを願い出た。そしてまだ誰も葬ったことのない墓地に遺体を納めた。
(黙想)
- ヨセフについては、神の国を待ち望んでいたとある。彼はイエス様を信じていたのだろう。彼は最高法院の一員であったが、イエス様を死刑にする議決には賛成しなかったと思われる。
- ヨセフはなぜ、イエス様の遺体を引き取ろうと思ったのか。当時の習慣として、犯罪者として処刑された人の遺体はどのように取り扱われていたのだろうか。遺体の引き取り手がいない場合は、死刑を執行したローマ総督の配下の者たちが何らかの形で処分したであろう。丁重に遺体が取り扱われたとは思えない。
- イエスの遺体は丁重に葬りたいと考えたのはヨセフだけではないだろう。でもイエス様に従っていた女性たちがピラトに願い出ることは無理と思う。イエス様の弟子たちはイエス様を見捨てて逃げてしまった。自分以外にはイエス様の遺体を引き取る人はいないのではないか、とヨセフは考えた。ほかにする人がいないなら自分がしなければ、と考えたのではないか。
- イエス様の遺体を十字架から降ろし亜麻布を巻くという作業はひとりではできない。ヨセフに協力する人たちがいた。そしてイエス様の遺体を墓地まで運んだ。その墓地はまだだれも埋葬されていないという。
- 誰も葬ったことのない墓地とは、新しい墓地のことか。ヨセフはイエス様を葬るためにその墓地を手に入れたのか、それとも自分がもともと所有し、まだ誰も葬っていなかった墓地なのか。詳細は分からない。イエス様の処刑を知り、事前に墓地を買うことは時間的にむずかしいのではないか。
- イエスと一緒にガリラヤから来た女性たちは、遺体を引き取ったヨセフの後について行ったとある。女性たちとヨセフは何らかの関わりがあったと思われる。ヨセフはイエスを囲む人たちと関わりを持っていた。彼がイエス様の遺体を引き取る思いを告げたので女性たちが彼の後についていったのではないか。
- ヨセフも女性たちも、イエス様の遺体をきちんと葬りたいと考え、実行した。
- イエス様の母マリアやイエス様の兄弟たちはどこにいたのだろう。通常なら、家族が遺体を引き取るのではないか。ヨセフが議員なので、ヨセフに頼んだのか。
- イエス様の遺体を墓地に葬ることは大切なことである。一人の人間の生涯の最後の仕上げである。それがきちんとなされた。そして埋葬は復活の準備となる。イエス様は確かに死んだのである。遺体の埋葬はそのことを証しする。
(聖書に聞く)
☆神が私たちに求める生き方
- (模範)52節。しなければならないことがあり、誰もそれをしないなら自分がするとヨセフは考えてイエス様の遺体を引き取った。これは模範と考えることができる。
- (模範)56節。女性たちはイエス様の遺体に香料と香油を塗るための備えをした。死者に対するていねいな埋葬の作業をしようとしている。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神、今日は主イエスの埋葬の記事を読みました。十字架上の主イエスの遺体を放置するわけにはいきませんし、当局が遺体を処理するのに任せるわけにもいきません。ほかにする人いないのでヨセフがピラトのもとに行き主イエスの遺体を引き取りました。しなければならないことがあり、それをする人がいない時、名乗りを上げてそれをする、ことを教えられました。
- 今の自分のそのようなことがあるかどうかを考えましたが、特にないように思います。でも神さま、自分のディボーションを紹介するサイトを作ってこれを運営しているのは、一人でも多くのキリスト者が御言葉によって生きる歩みをしてほしいとの願いからです。このようなサイトの必要を感じ、誰もしていないので、自分がしているという面があるかもしれません。今、伝道の困難が指摘されていますが、御言葉によって生きる人の証しが求められます。一人でも多くのキリスト者が御言葉に立って生きることができるように、そのために、このサイトが用いられることを願います。神さま、私の志を祝福してください。この志はあなたが与えてくださったものです。
- 天の父、今日の聖書は墓地の取り扱いについても考えさせられました。東京の父と母の遺骨を納めた墓があります。私の遺骨をどこに納めるのか、このお墓に納めるにしても管理を誰にゆだねるのか。考えなければなりません。週末に息子が奈良に来ますので、話をしてみたいと思います。
☆与えられた導き
- ディボーションのサイトへの祝福を祈る。
- 墓地について息子とを話をしてみる。