ルカ福音書 17章5~6節

2018年11月5日

(内容)

  • 弟子たちが信仰を増してくださいとイエス様に願ったとき、イエス様はからし種一粒ほどの信仰があれば、桑の木に命じれば、海にも根を下ろすだろうと教えられました。

(黙想)

  • 弟子たちはなぜ、信仰を増してくださいとイエス様に願ったのでしょうか。マタイ福音書において、弟子たちは何度もイエス様から「信仰の薄い者たちよ」ととがめられています。
  • たとえば6章30節では何を食べるか飲むか、思い悩むのは信仰が薄い、8章26節では舟で湖を渡るとき、激しい嵐が起きて弟子たちが混乱に陥り狼狽しているとき、信仰が薄いと言われました。14章31節ではイエス様のように湖の上を歩こうとしたペトロが、沈んでしまったとき、「なぜ疑ったのか」とイエス様はペトロを咎めています。信じる者は徹底して神に信頼することが求められます。信頼する心に疑いが忍び込んできます。弟子たちは疑わずに確信を持って信頼できる信仰を求めたのでしょうか。
  • あるいはイエス様は「からし種一粒の信仰」についてマタイ福音書17章20節でも語っておられます。そこでは弟子たちが悪霊につかれた子どもから悪霊を追い出すことができなかったことについて、イエス様は「信仰が薄いからだ」と理由を述べられ、「もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない」と教えられました。弟子たちはイエス様のように力ある業を行いたいと考えたのでしょうか。
  • 疑いが忍び寄ってくるとき、確認を持って神さまを信じたいし、苦しんでいる人を前にすれば、力あるわざを行えるように信仰があればと願いもします。今日の箇所では、疑いを持たずに信じることが教えられているように思えます。
  • 信仰は増えたり減ったりするようなもの、つまり自分の内に所有することができるようなものではないことをイエス様は教えられたように思います。大事なことは、その時、その時、生きて働く信仰に生きることだと思います。

(聖書に聞く)

☆神さまが私たちに求める生き方
  • (教え)疑わずに信じることが大切だイエス様は教えられました。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父、疑わずに信じて「桑の木に命じるなら、桑の木は海の中に根を下ろす」とイエス様は教えられました。信じるときには疑わないことが大切と知ります。しかし折に触れて疑いが湧いてくるのも事実です。その時、その時、疑いを捨てていくことが大切と知ります。
  • 私はインターネットを利用して、証しを発信しています。このディボーションのサイトもそうです。これは自己満足に過ぎないのではないか、とか、続けることに意味があるのだろうか、との思いが折に触れ心に湧いてきます。結果はどうなるか分かりませんが、神さまを見上げ、神さまに用いられることを願い続けることが大切ですね。あなたが用いてくださることを信じることが大切ですね。
  • 讃美歌48番に「父にぞゆだねん きょうまきしたねを」とあります。自分の働きをいつもあなたにゆだねる信仰に歩ませてください。今日寝る前に、あなたにゆだねると祈り、休むことにします。
☆与えられた導き
  • 「自分の蒔いた種について、神さまにゆだねる」と祈って休む。