ルカ福音書 14章1~6節
2008年10月6日
(内容)
- 安息日にイエス様は病人を癒やされますが、安息日に病人をいやすのは律法で許されているかどうか、イエス様が積極的に問いかけています。
- ルカ福音書6章でもイエス様は安息日に会堂でいやしをなさっています。そこでは律法学者やファリサイ派の人たちが、訴える口実を見つけようとして、イエス様がいやしをするかどうか注目しています。いやしを行えば律法違反と訴えることができると考えているのです。イエス様は彼らの考えを見抜いて、彼らに問いかけます。主イエスがいやしを行うと彼らは、怒り狂ってイエス様を何とかしようと話し合いました。
- ルカ13章でもイエス様は安息日に会堂でいやしを行っています。この時は、いやしを行ったイエス様に対して会堂長が「働くべき日は六日ある。安息日はいけない」と言って腹を立てています。するとイエス様は問いかけます。すると反対者たちは恥じ入ったとあります。イエス様の行動を認めたのです。
- このルカ14章は安息日ですが、会堂ではなく、ファリサイ派の議員の家でのできごとです。ここでも人々はイエス様がいやしを行うかどうか、うかがっていました。イエス様は病人がいるのを見て、安息日にいやしを行うことについて人々に問いかけます。しかし人々は黙っていたとあります。そこでイエス様は病人をいやされ、さらに問いかけます。安息日に病人を癒やすことの正しさをイエス様が語ると人々(ファリサイ派の人たち)は、黙っていました。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- (御子)イエス様は、安息日にいやしを行うことの正当性を語られる方です。イエス様は律法の背景にある神さまの心をご存じの方です。律法を字面だけ守ろうとする方ではありません。神さまの教えは、人のためにあるのであって、それを行って自己満足を得るためのものではないことをお示しになっています。
☆神が私たちに求める生き方
- (警告)4,6節。自分の考えが間違っていることを知らされても、その考えを長い間もっていたので、すぐには自分の考えを変えることをしない頑なさはあらためるべきです。自分の体裁や体面を重んじてあらためない、これもまた罪です。
- (勧め)自分の間違いを教えられたら、素直に悔い改めるべきです。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日は間違いに気づいたら素直にあらためるべきことを教えられました。人間には、そうすべきと知っていながら悔い改めないかたくなさがあります。人は間違いを犯し、さらに悔い改めないで、二重の罪を犯すことになります。
- 自分の内に、あらためるべきことを知りながらあらためていないことがあるでしょうか。神さま、私の心を探ってください。・・・。
- おっくうになってなすべきことを先送りにする悪い癖があります。大型ゴミを捨てるために市役所に連絡をして手続きを取らねばならないのですが、明日、明日、と今だ電話していません。なすべき事をテキパキと行うことができていません。うじうじぐだぐだしてしまいます。この悪い癖、なおします。来週市役所に電話して、大型ゴミの廃棄を即座に行うことにします。
☆与えられた導き
- 市役所に電話する