ルカ福音書 12章4~7節
2018年8月20日
(内容)
- 人を恐れず、神を恐れなさい。神は権威ある方であり、しかも私たちのことをよくご存じの方です。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- (御子)4節。イエス様は、弟子たちを友と呼ばれます。
- 12章1節では弟子たちに話されたとあるのに、ここでは「友人であるあなたがた」。あなたがたとは誰のことなのでしょうか。弟子たちのことなのでしょうか、それとも弟子とは別な人たちのことでしょうか。ここでなぜ、「友人である」とあるのでしょうか。疑問が残ります。イエス様は、私たちのことを友人と呼んでくださるのでしょうか。ヨハネ福音書15章では、「わたしはあなたがたを友と呼ぶ」と弟子たちに語っています。
- (御父)5節。父なる神は、人を地獄に投げ込む権威を持っている方です。体を殺してもそれ以上何もできない者を恐れるのではなく、父なる神こそ恐れるべきお方です。
- (御父)6~7節。父なる神は、あなたがたを忘れることなく、髪の毛まで一本残らず、数えておられる方です。つまり私たちのすべてをご存じで、私たちのことを忘れずに顧みてくださる方です。
☆神さまが私たちに求める生き方
- (警告)4節。体を殺してもそれ上何もできない者を恐れてはなりません。
- 人を恐れてはいけないとの教えです。しかし私たちの命を奪おうとする人、私たちの身に危険をもたらす者を私たちは怖いと感じ、恐れがちです。自分の命を守ろうとするからです。
- しかし人を恐れず、神を恐れなさいとイエス様は教えられます。神さまは、私たちのことを忘れることなく、私たちのすべてをご存じの方です。しかも神さまは、全能の神さまです。私たちは神さまにゆだねることができます。
- 信仰を貫こうとするとき、自分の身に不利益や時には死を招くこともあるかもしれません。自分は弱いから、そこまでして信仰を貫くことはできないという方もおられるかもしれません。私は「この神は世々限りなくわたしたちの神、死を越えて、わたしたちを導いて行かれる」(詩編48編)の言葉に信頼して、信仰を貫きたいと考えます。
- (命令)5節。父なる神を恐れなさい。
この「恐れる」は、神さまが怖いから恐れるのではなく、むしろ神さまに信頼を寄せ、神さまを敬い、自ら聞き従うことを意味すると考えます。神さまの権威は、怖い権威ではなく、慈愛に満ちた権威と信じ、喜んでこの権威に従いたいと考えます。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神、あなたを恐れるとは、あなたを敬うこと、あなたに信頼することと考えます。それはあなたの言葉を尊重し、あなたの言葉に信頼することを意味すると考えます。あなたの言葉を真実な言葉、真理の言葉として生きること、それがあなたを恐れることと考えます。
- 今、人を恐れたり、人の目を気にしたりすることもありません。人を恐れることから自由にされていることを感謝します。私にとって課題は、あなたを恐れ、本当にあなたの言葉を真実な言葉、真理の言葉として生きているか、ということです。年をとり、私は喜んで死にたいと考えています。それを課題としています。この課題をクリアするには、あなたの言葉によって希望と確信をいただくことが必要です。そのためにはあなたの言葉を疑うことなく、不安に思うことなく、きっぱりと信じる信仰に立つことが必要と考えています。たとえば「キリストは死を滅ぼし、福音を通して不滅の命を現してくださいました」(テモテ二1:10)のような言葉を神の真実な言葉として受け入れることが課題です。そして神の言葉を真実な言葉とすることこそ、神を真実な神とし、神をほめたたえることになります。私はあなたを真実な神、とたたえたいです。
- 神さま、私は「あなたをたたえる心を与えてください」と祈っていますが、今日、あなたの言葉を真実な言葉とすることが、あなたをたたえることであると知りました。
- あなたをたたえる行為があることに気づくことができたこと、感謝です。あなたの言葉を真実な言葉とし、これに信頼する、これがあなたをたたえる行為であること知ることができうれしく思います。自分が喜んで死ぬことができるために、死を越える希望を語る聖句を真実な言葉とし、あなたを真実な神さまと告白し続けます。今日はテモテ二の1:10の言葉を暗唱できるようにすることを適用とします。感謝します。
(与えられた導き)
- テモテ二1:10を暗記する。