ルカ福音書 7章18~35節
2018年5月9日
(内容)
- 洗礼者ヨハネは、弟子を主イエスのもとに遣わし、「あなたは来たるべき人か」と尋ねさせました。イエス様は自分が行った奇跡をヨハネに伝えるように命じ、私につまずかない人は幸いである」と告げました。
(黙想)
- ルカ福音書3章でイエス様はヨハネから洗礼を受けています。イエス様はヨハネのもとに洗礼を受けにきた多くの人の一人として洗礼を受けられたので、ヨハネはイエス様に洗礼を授けたという自覚はないようです。ヨハネは、救い主の到来を語りましたが、救い主であるイエス様にお会いしたという自覚はありませんでした。イエス様の活動を耳にし、ヨハネは、イエス様が救い主かどうか、弟子たちに尋ねさせました。イエス様はご自分がなさったことを伝えなさいとお答えになります。つまり、イエス様の行ったことを聞いて、イエス様が救い主であるかどうか、ヨハネは問われたのです。信じるかどうか、私たちは常に問われます。説教で聞いたこと信じるか、聖書で読んだことを信じるか。
- 30節では、律法学者やファリサイ派の人々は、洗礼者ヨハネが神から遣わされたことを認めず、「自分に対する神の御心を拒んだ」と書かれています。そしてイエス様も信じようとはしませんでした。律法を守っているという自負、自分の正しさを誇る態度のために、イエス様を信じることができなくなりました。自分の正しさだけでなく、何かこだわりを持ってしまうと心が閉ざされ、イエス様を信じることができなくなることがあります。イエス様を信じていても、聖書に書いてあること、説教で聞いたことを信じない、そういうことがあります。
- 31節で、イエス様は「今の時代の人たちは何にたとえたらよいか」と語り、人々は洗礼者ヨハネは悪霊に取り憑かれている、イエス様については大食感、大酒飲み、などと悪口を言っていると語られました。私たちはあら探しをして、問題があるから信じない、と信じない自分を正当化しようとすることがあります。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
☆神が求める私たちの生き方
- (教え)23節。イエス様が来たるべき救い主かどうか、それはじぶんで判断するものです。
- イエス様は御自分がなさったこと、つまり、目の見えない人が見えるようになり、足の不自由な人が歩けるようになり、重い皮膚病の人がいやされ清くなり、耳の聞こえない人が聞こえるようになり、死者が生き返ったことなどをヨハネに告げなさいと使者に告げます。これを聞いてヨハネはどう判断するのでしょうか。そして私たちも聖書を読み、あるいは礼拝の説教を聞き、告げられるメッセージを受け入れるか、信じるかどうか、従うか、問われます。
- (警告)30節。ファリサイ派や律法学者たちは、神から遣わされた洗礼者ヨハネを認めませんでした。律法を破っていると言って、イエス様を信じようとはしませんでした。彼らは自分の正しさにこだわり。イエス様を信じようとはしませんでした。私たちは聖書に対して心を開いているだろうか。何かのこだわりのために心を閉ざしていることがないだろうか。自分の考えを変えたくないというプライドが人間にはあります。
- (警告)31節以下。イエス様は今の時代の人を何に例えようかと話されました。人々はヨハネについて悪霊に取り憑かれていると非難し、イエス様については、大食漢で大酒飲みだと非難し、イエス様を信じようとしません。イエス様に対して、あるいはキリスト教に対して、あら探しをして信じようとしない人もいます。本来なら模範とすべき他者に対して、あら探しをし、自分の立場を頑なに守ることがないだろうか。模範がいる、それは恵みなのに。
- (教え)35節。知恵の正しさは、その知恵に従う人によって証明される。一種の格言だと思います。イエス様が救い主かどうかが分かるのは、イエス様を救い主として受け入れて生きていく中で分かるというのです。私たちが日々の生活の中で、誰かを信頼できる人と判断するのは、その人と関わって生きるからです。聖書が語ることを信じて聞き従ってみれば、信じるに足るかどうかが分かります。
(神の導きを求めて)
☆祈り
- 天の父、今日でもキリスト教に対して批判を言う人がいます。キリスト教国はよく戦争をする、仏教は平和的だなどとキリスト教を非難する人がいます。あるいは自分は正しく生きており、罪人などと言われたくないとキリスト教には関心を示さない人がいます。信じようと思っても、信じて大丈夫だという証拠があるわけではなく、信じることにためらいを感じている人たちもいます。イエス様は「私につまずかない人は幸いである」とおっしゃいました。
- 天の父、今日は求道者のために祈ります。信仰の決断ができない人たちを覚えて祈ります。求道者として覚えている人たち一人一人が信仰に導かれるように祈ります。
☆与えられた導き
- 求道者の人たちを覚えて祈る。