ルカ福音書 5章17~26節
2018年4月17日
(内容)
- イエス様はご自分のもとにつれて来られた中風の人に「あなたの罪は赦された」と語られました。さらに「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう」と語られました。イエス様は中風の人をいやし、ご自分が罪を赦す権威を持っていることを人々に知らせました。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- (御父)17節。父なる神さまはイエ様に力を与えられる方。イエス様は癒やしなど力あるわざを行っておられます。
- (御子)22節。イエス様は御自分を批判する律法学者やファリサイ派の人たちの思いを見抜かれました。私たちが何を考え、何を思っているのか、イエス様は既にご存じです。
- (御子)24節。イエス様は、地上で罪を赦す権威を持つお方であり、そのことを人々に知らせようとされました。イエス様はご自分がいかなる方かを伝えられました。
☆神が求める私たちの生き方
- (模範)19節。会堂に人がいっぱいで病人をイエス様のもとに連れて行けないと分かったとき、男たちは屋根瓦を剥がし、天上から病人をおろしてイエス様にいやしを願う姿勢は模範です。決してあきらめないで求め続けることの大切さを教えられます。他の人のために、障害を乗り越えて仕えるとににチャレンジしてみてはどうか。
- (模範)25節。中風の人は、イエス様から「起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と言われたとき、即座に従いました。これは模範です。私たちは神さまの御心に従うことにおいて、ためらうことなく従っているでしょうか。
(黙想)
- イエス様はなぜ、いやしを求めてきた病人に罪の赦しを宣言されたのでしょうか。理由は明らかではありません。当時は、罪と病気(障がいを含む)は関係があるとの考えが一般的だったようです。ヨハネ福音書の9章で弟子たちはイエス様に「「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか」と尋ねています。旧約聖書のヨブ記では、ヨブの友人たちは、病気は罪がもたらした者だから悔い改めなさいとヨブに語り、ヨブを苦しめてしまいました。「あなたの罪は赦された」と告げ、イエス様はこの病人に慰めを語ったと考えることができます。
- 「あなたの罪は赦された、と語るこの男は何者だ」と律法学者やファリサイ派の人々は考えました。そしてイエス様は、「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう」と語り、病人を癒やし、ご自分が罪を赦す権威を持っていることを知らせました。イエス様は罪を赦す権威を持つお方で、私の罪をも赦す権威を持っておられます。
- イエスというお方は何者なのか、あなたはどう考えるのか、私たちは問いかけられます。イエスを何者と考えるのか、それによって私たちの信仰生活の内容も変わってくるように思います。イエス様をどう考えるかによって、私たちのイエス様との関わり方が決まってきます。
- 「あなたはわたしを何者だと言うのか」とイエス様は問い、ペトロは、「神からのメシアです」と答えています。私たちは、このイエス様の問いにどう答えるのか。 もしイエス様から「あなたの罪は赦された」と今、言われたとしたら、自分のどんな罪が赦されたのかと考えます。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父、イエス様は罪を赦す権威を持っておられます。イエス様は「あなたの罪は赦された」、とご自分のもとに連れて来られた中風の人に宣言されました。この病人はこう言われて、何を思い、何を考えたのでしょうか。それは分かりませんが、自分の病気が罪と関係がある、罪があるから病気になったのだと人々が自分のことを思っているとしたら、それには辛いものがありますね。それは友人から罪を悔い改めよと言われたヨブの悲しみでもありました。イエス様のお言葉は中風の人に慰めを与えたかもしれませんね。イエス様は悲しんでいる人を憐れまれるお方ですね。イエス様をたたえます。
- イエス様が今私に「あなたの罪は赦された」と言われたとしたら、私はどんな罪を悔い改めるべきなのかと考えます。私はいくつもの課題を抱えて生きています。そして色んな思いを抱いています。たとえば、今インターネットに開設したサイトの運営、無牧の教会の説教応援があります。福音宣教について自分にできることは何で、どこまでできるのか、など。サイトを運営するからには、それなりに影響力を持つことを願いますし、反響が少なければ少ないでそれなりの思いを持ちます。そこに人間的な思いが混じっているかどうか、肉の思いがあることは知っていますが、それが自分の主たる思いとならないように抑制はしています。自分の心に色んな思いがありますが、それらを祈りとして神さまに向けて口に出してみたらどうなのか、と思います。罪がはっきりしてくるでしょうか。それは分かりませんが、主イエスの赦しの中に置かれていることを信じて、自分の思いを口に出して祈ってみたいと思いました。
☆与えられた導き
- 今の思いを神さまに伝える祈りをする。