ルカ福音書 2章22~38節

2018年3月20日

(内容)

  • ヨセフとマリアは律法の定めに従って生まれた子を主に献げるためにエルサレムに行きました。二人の老人が生まれたばかりの救い主に出会いました。

(黙想)

  • この段落にはシメオンとアンナという二人の老人が登場します。シメオンは、神の救いを見たので自分は安らかに世を去ることができると神に語り、ヨセフとマリアに生まれた子は「万民に救いをもたらし、異邦人を照らす世の光」であると告げました。アンナはエルサレムの人々に、幼子は救い主となると証しをしました。
  • 二人の老人が登場し、いずれも幼子について証しをしています。そしてこの老人たちは世を去ります。特にシメオンは安らかに世を去ることができると語ります。安らかに世を去ることができることは、多くの人の願うことです。それは自分の人生に納得して死ぬことができるとの願いです。悔いがないということです。
  • どうしたら僕は安らかに神のもとに召されることができるのだろうか、と考えます。シメオンは幼子を見、神が救い主を送られたことを知って喜び、それで安らかに世を去ることができると語りました。その幼子がどのような働きをするのか、それは彼の年齢からすれば、見ることはできません。それを彼は望みません。幼子を見るだけでよしとしました。幼子を通して、神が民を救うとの御心を見て、それでよしとしました。
  • 多くの人は悔いのない人生を願うと思います。悔いを残したまま世を去るというのは切ないものがあります。僕は信仰者であり、神様から与えられた命を生きており、神さまから使命を与えられており、使命に忠実に生きているなら、いつ召されてもよいのだと考えます。神が私たちに求められるのは、忠実であることで、何かを達成することではないと信じます。忠実に生きる過程で何事かを達成することはあると思いますが、福音を宣べ伝えることは歴史の中における神の事業であり、ずっと継続されるものです。自分はその歴史の中で一部分を担当する者に過ぎません。何かを達成したとしても、それは忠実に歩む途上の出来事に過ぎません。大事なのは忠実であることです。
  • 牧師として30数年の働きをしてきました。忠実に努めてきたと信じて、これまでの人生を感謝しよう。そして神が結ばせてくださった実を見ることは許されると思います。いつも前を見て歩んできたので、どんな実を神が与えてくださったのか、ゆっくり振り返りたいと思います。
  • そして忠実に歩めたこと、ささやかであるとしても実を結べたことを知れば、僕も安らかに世を去り、神のもとに行くことができるのではないかと思います。そしてこれからもなお実を結びたいと願います。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • (御父)神はシメオンに救いを見せると約束された方。それを実現させた方。
  • (御父)神はシメオンを安らかに世を去らせる方。
☆神が求める私たちの生き方
  • (勧め・模範)幼子について二人の老人が証しを行っている。老人だからできる救いの証しがあるに違いない。それをしてはどうか。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父、ザカリアが語ったごとく、「安らかに世を去る」ことは私の願いです。彼は救い主となる幼子を見て喜び、これで安らかに世を去ることができるとあなたに語り、あなたを讃えました。彼はあなたの救いを見たのです。
  • では、私はどうなのかと考えます。あなたに召され、イエス・キリストを宣べ伝える務めを果たしてきました。私なりに忠実に励んでこれたことは感謝です。若い日に、私は心に思いました。「自分の命をささげても惜しくないことをしたい」。その時、私はあなたを知りませんでしたが、あなたは私の願いを聞いてくださいました。感謝です。
  • 今、牧師の務めを引退し、一定の役割を果たすことができたと信じ、感謝するものです。これで充分なのかもしれません。ただ今日はこれまでの働きの実を確認したいと思いました。主イエスは「人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」と約束されました。これまでの歩みを振り返り、恵みの実を確認し、私を用いてくださったあなたを讃えたいと思います。共に人生を歩んでくれた妻と一緒に確認したいと思います。
☆与えられた導き
  • 与えられた実を妻と共に確認する。