ヘブライ人への手紙 7章

2018年1月16日

(内容)

イエス様は律法に基づく祭司制度によらず、大祭司となり、メルキゼデクと同じような大祭司になりました。イエス様は、律法に基づく祭司制度はなしえないことをなすことができる大祭司です。

(聖書に聞く)

☆神とはいかなる方か
  • (御子)19節。希望をもたらす方。イエス様によってもたらされて希望によって、私たちは神に近づくことができる。
  • (御子)25節。人々のために執り成しをなさり、ご自分を通して神に近づく人たちを完全に救うことができるお方。
  • (御子)25節。御子イエスは、永遠に完全な者とされた大祭司である。

(黙想)

  • 7章の議論は、なかなかついて行けない部分があります。イエス様がご自身を罪のためのいけにえとして献げられたことが書かれていますが、大祭司がささげた動物のいけにえとの違いはまだ明らかにされていません。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日のヘブル書の議論について行くことはむずかしいです。著者が言いたいことは、分かります。イエス様は律法に基づいて建てられた大祭司よりすぐれた大祭司であるということです。そのことを立証しようとする議論は正直わかりにくいです。それはそれとして、イエス様は、私たちのために執り成しをしてくださり、神さまに近づく私たちを完全に救うことができるとありますので、一つの願いを祈りたいと思います。
  • それは神の国の希望をいかにして、今を生きる自分の力とするかということです。一昨日の説教で、私たちは、神の国の希望はあるが仕方なく死ぬのか、それとも神の国の希望があるので喜び勇んで死ぬのかと問いかけました。神の国の希望が今の私の歩みを導くのか、それとも神の国は死んだら行くところという理解に留まってよいのだろうかと問いかけました。
  • 「終わり」のことを考えると、信仰が鋭く問われるような気がしています。大きな悔い改めを迫られているように感じますが、今まだそれはおぼろげです。あなたの導きによって、悔い改めたいと思います。どうぞ導いてください。
(与えられた導き)
  • 導きを求めて祈る。