ルターが語る聖書の読み方(2) 黙想
私はあなたに神学研究のための正しいあり方と方法とを示したい。なぜなら、私もこの訓練を受けたからである。そしてこのあり方と方法というのは、疑いもなくすべての族長や預言者たちも保っていたものだが、聖王ダビデが詩編119で教えているものである。そこであなたは、この詩編全体をとおして、十分に示されている三つの原則を見いだすことであろう。それらは祈りと黙想と試練とである。
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第二に、あなたは黙想すべきである。すなわち、あなたは聖書を単に心の中で繰り返すだけでなく、口に出して、聖書の文字どおりのことばに従ってこれをいつも繰り返し、これに習熟し、一読、再読し、聖霊が言おうとすることに熱心な注意と考察を向けるべきである。これにあきて、一度も二度もすでに十分読んだし、聞いたし、語った、何でも根底から分かっているのだなどと考えにように、注意しなさい。そんなことでは決して特別の神学者となり得ない。そんな考えを持つような人は、時ならぬ時に実を結んだ果物のような者で、まだ半分も熟さないうちに、落ちてしまう。
だからあなたはあの詩編で、ダビデが昼も夜もいつでも、神のことばと戒めだけを語り、唱え、言い、歌い、聞き、読もうとしていることを常に誇っているありさまを見る。神が外的なことばなしに霊をあなたに贈ろうとすることはない。だから、用意をととのえていなさい。神は外的に(ことばや文字で)書いたり、説教したり、読んだり、聞いたり、歌ったり、言ったりなどするように命じておられるが、それはどうでもよいことではないのである。
(世界の思想家5『ルター』徳善義和編、p54~56)