ローマ 6章15節 恵みの下にいる
2023年10月12日
(内容)
- 律法の下ではなく、恵みの下にいるからといって罪を犯してもよいことになるのか。決してそうではない。
(黙想)
- 私たちは律法の下にはいない。これは何を意味しているのか。救われるために律法を守らなければならないという要請から解放されているという意味である。人はイエス・キリストを信じることによって救われるのだから、律法を守らなければならないと考える必要はない。このような義務感からの解法が与えられている。
- もしキリスト者が律法を守らなければならないと考えるなら、なぜそう考えるのか、明確にする必要がある。律法を守らなければ神の罰を受けるのではないかと考えるなら、それは律法を守って救われようとする考え方である。私たちは信仰によって救われるのであって、律法の実践によって救われるのではない。だから律法を守らなければならないと考える必要はない。
- だがそうなると律法を守らなくてもよい、つまり罪を犯してもよいと考える人が出てくるかもしれない。赦されるのだから、罪を犯してもいいと考える人が出てくるかも知れない。それに対してパウロは、違う、罪を犯してもよいと考えるのは間違いだという。
- 私たちキリスト者は恵みの下にいることを知ることが大切である。イエス・キリストを信じることによって救われるのは恵みによって救われることである。救われるために私たちは何もせずに信じればよいのであり、恵みによって救われる。そして私たちは恵みの下にいる。
- 信仰によって救われる、恵みによって救われるとは、私たちが恵みの下におかれたことを信じることである。キリスト者は神の恵みの下にいる。神の恵みは、神の教えを守ることができるように私たちを導く。そのことを信じることが大事である。それゆえ、罪を犯してもかまわないとは考えない。
- 私たちは罪から解放されているのであり、聖なる人となることを目指すのである。キリストに結ばれ、私たちは新しく生まれた人となり、神の子とされている。新しく生まれたと信じ、神の子とされていると信じるなら、罪を犯してもいいとは考えないだろう。私たちはこのことを本当に信じ喜び、生きようとしているのか。
(聖書に聴く)
☆神が私たちに求める生き方
- <教え>私たちは恵みの下にいる。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、聖書を読み、思いめぐらすことができ感謝します。今日は、私たちが恵みの下にいることを教えられました。わたしたちは律法を守らなければならないという義務感を持つ必要はなく、守らなければならないと考え、守ることのできない自分を責める必要もないことを教えられ感謝します。まず恵みの下に置かれたことを信じ喜びたいと思います。また律法を守らなければならないという思いから自由にされたことを喜びます。
- 私たちキリスト者は、恵みの下におり、あなたの恵みによって律法を守る者、聖なる者とされていることを信じます。あなたの教えを喜び、従います。恵みとして聖霊の導きを与えられ、聖霊が私たちのうちに色々な思いを与えてくださいます。今、ある牧師のために祈るよう促しを覚えていますので、執り成しの祈りをします。
☆与えられた導き
- 執り成しの祈りをする