マルコ福音書 7章24~30節 求めを拒むイエス?
2022年5月19日
(内容)
- イエスはティルス地方に行かれた。そして娘が悪霊に憑かれて苦しんでいる母の願いを聞いて、イエスは娘から悪霊を追い出された。
(黙想)
- イエスはティルス地方に行った。ある家に入り、誰にも知られたくなかったとある。この家を何のために訪ねたのかは分からない。誰の家かも分からない。知り合いの家なのか。それは分からない。
- イエスの行くところ、群衆がついて来る。イエスは静かに過ごす時を持ちたいと願いティルス地方に行ったのかも知れない。誰にも知られたくなかったということは、そのことを示している。静かに過ごしたかったのかも知れない。弟子たちとの交わりの時を持ちたかったのかも知れない。あるいは休息したかったのかも知れない。
- しかしイエスは弟子たちと一緒に活動をしていたので、ティルスに来たことが人々の知るところとなった。そこでシリア・フェニキアの女がイエスのもとを訪ねてきた。幼い娘から悪霊を追い出してもらいたいと願った。イエスの足もとにひれ伏しており、真剣にイエスに助けを求めている。これまでも悪霊で苦しめられている人たちが何人もイエスのところに来て、悪霊を追い出してもらっている。現代と違い家族の病気で苦しんでいる人たちが多かった。イエスが近くに来ていることを知った彼女がイエスのもとに来たことは理解できる。
- しかしイエスはすぐに彼女の願いを聞こうとはしなかった。「まず子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない」と女に向かっていった。イエスはなぜ、このようなことを言ったのか。この発言の意味は何か。女にとってイエスの言葉は謎である。イエスが自分の願いを暗に断っていることは分かる。女は機転を利かせ、「小犬も、子供のパン屑はいただきます」と答えた。イエスは「それほど言うならよろしい」と言って、彼女の願いを受けとめた。
- イエスは休息を邪魔されたので、彼女の願いを断ろうとしたのか。イエスがそんな意地悪をするとも思われない。
- この箇所でマルコは何を伝えたいのだろうか。イエスに対する求めは真剣であるべきであり、簡単にあきらめないことの大切さを伝えるのか。我々も神に祈るとき、なかなか願いが聞かれないとあきらめることがある。忍耐強く求め続けることを教えられる。
- 悪霊に憑かれた幼い娘を何とか助けたいと願い、イエスの足もとにひれ伏し、真剣に助けを求める女性の姿は心に残る。イエスは一度は断るが、彼女の機転を祝福し、悪霊を追い出された。
- イエスは力ある方である。その力は、この福音書を読む私たちにも働くと考えることができる。今イエスは天におられる。天から、私たちを助けるために力を持って働かれる方であると信じることは許される。私たちは罪というやっかいなものを抱えている。この罪から私たちを救うためにイエスは十字架で死なれた。私たちはもっと真剣に罪からの救い、罪からの解放を求めてよいのではないか。私たちはイエスのもとに押し寄せる群衆のように、罪からの解放を求めてよいのではないか。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>力ある方
☆神が求める私たちの生き方
- <模範>ここに登場する女性は、真剣にイエスに求めている。真剣に求めている。イエスの願いを拒むような言葉に機転を働かせている。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日も聖書を読むことができ感謝します。今日は祈りへのチャレンジを与えられたように思います。私たちは色々なことをあなたに願いますが、なかなか答えられないことがあります。あなたから拒まれているように思えるときがあります。あなたがすぐにはかなえない理由を考えて、それに対して機転を利かせる答えをしたらどうなのかと考えてみました。
- 今、毎日祈っている大切な祈りがあります。あなたがかなえるのを拒んでいる理由を考え、それに対して機転を利かせた答えをして、祈りをかなえてもらいたいと思いました。今日はあなたが拒んでいると思われる理由を考えてみたいと思いました。このことも導いてください。
☆与えられた導き
- 神が私の祈りを拒む理由を考える。
~~~~~~~~~~
ロシアのウクライナ軍事侵攻に関連して
・祈り 一日も早い停戦とウクライナの平和をもたらしてください。
祈りがなかなか聞かれないと思ったりする。
ある人はなかなか聞かれないので祈ることのむなしさを語ったりする。
神:「具体的にどんなふうになったらいいのかな。考えてそれを祈ったら」
神:「抽象的、漠然とした祈りではなく、具体的に祈ったらどう?色んな祈りを祈ることができるんじゃない。報道される戦争の詳細な現実に心を痛めるというなら、それに即して具体的に祈ったらどう」
*機転を利かせる余地なく何を祈るのか考えさせられる。