ヨハネ福音書 1章14~18節(2)恵みと真理
2021年12月20日
(内容)
- 私たちは、独り子である神から恵みに恵みを受けた。恵みと真理をイエス・キリストを通して現れた。
(黙想)
- 肉となった言について二つの呼び方がなされている。「父の独り子」(14節)。もう一つはイエス・キリスト(17節)。独り子は天において、「父のふところ」(18節)にいた。そして世に到来し、イエス・キリストと呼ばれるようになった。「独り子である神」(18節)とあるようにイエス・キリストは神であると告白されている。
- 独り子、イエス・キリストは何をしたのか。神を示されたのである。イエス・キリストを通して恵みと真理が現れたとあるが、それは神が示されたことと同じであると思う。神が示されたとは、恵みと真理が現れたこと。
- 恵みと真理と対比されるのが律法である。モーセを通してイスラエルの民に与えられた。ヨハネは救いを恵みと真理と表現する。救いを言葉で表現すれば真理となり、救いは恵みとして経験される。
- 人は何を救いとして受け取っているのか。神が与えてくれるものを私たちは受け取ることが大切である。人が偶像に期待するものと父なる神が与える救いは同じではない。僕は救いとして何を受け取ったのか。僕はどんな神を見たのか。
- 救いとは、神との交わりに生きることである。イスラエルの民はエジプトの奴隷状態から救われ神との交わりに入った。そしていかに生きるべきかを示す律法を与えられた。イスラエルの民は律法を守ることができなかった。守ろうとも思わなかった。しかしイエス・キリストは律法を成就するために来た。イエス・キリストを信じる者は律法を満たす。そのために自分の罪を悔い改め、神により新しく生まれ、罪に打ち勝たせてくれる救いの恵みによって生きること。
- 14~18節は、救いについて凝縮された表現だ。こういう抽象的な表現を聞くと、具体的にどういうことかと聞きたくなる。抽象的な表現は、人を煙に巻くこともある。物事を分かったような顔をして語り、自分は偉いだろうと自己顕示することがある。ヨハネはそんなことはしてはいないが、具体的に語って欲しいと思う。ヨハネはこの福音書で具体的に書くということなのだろう。
- 何かを伝えるとき、さまざまな伝え方がある。福音書は一つの表現形態である。神学書もまた論理的に福音を伝える形態である。恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたことをヨハネは伝える。
- また18節の神を示されたとは、神の御心を示されたということであり、恵みと真理を示されたことと同じことを言っている。
- 自分は恵みと真理をどう受けとめたのか。老いた者は、この恵みと真理を自分はどう受けとめて生きて来たのか振り返り、自分にとって恵みと真理は何かを具体的に言葉で言い表すべきだろう。老いを生きるとは証しに生きることでもある。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>恵みと真理に満ち、恵みと真理を現した方
- <御子>神を見た方、神を示された方
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>恵みと真理として自分は何を受けたのかを言い表してみる
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、待降節の今、救い主の誕生に思いを馳せています。ヨハネ福音書で言は肉となって私たちの間に宿ったとあります。また父の独り子としての栄光は、恵みと真理に満ちていたとあります。牧師として長年働き、今は引退しました。聖書を説いてきました。聖書は巨大な真理のかたまりで全容を解明し尽くすことはできません。福音の鉱脈を掘り続けてきました。知り得たことはわずかですが、でも信仰に生きるには十分であったと思います。でももっと鉱脈を掘り続けたいと思っています。これは許される限り続けます。
- 今日は、恵みと真理を自分はどう受けとめたのか、言い表してみたいと思いました。文章にすると長くなるので、箇条書きにしてみたいと思いました。あなたへの感謝を込めて、信仰を振り返り、書いてみたいと思います。導いてください。
☆与えられた導き
- 受け取った恵みと真理を箇条書きに書く
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・御言葉という真理に立って物事を考え、行動できるようになった。確かな歩みができた。
・罪の赦しを受け、神の子として新しく生まれ変わり生きることができた。
・キリスト者のアイデンティティーを知り、自分を受け入れることができるようになった。
・聖霊の導きと御言葉により、御心に従う歩みができるようになった。
・愛することを教えられ、人を愛して生きるようにされた。
・希望を与えられた。神の救いの計画の実現を信じる。終末の到来と共に神の国が実現するとの希望。自分自身の復活の希望
・心の底にいつもある平安と喜び