第二コリント 4章13~15節(1) 信じた、それで語った
2021年7月30日
(内容)
- パウロは、「わたしは信じた、それで、わたしは語った」との聖書の言葉に基き、語っていると書く。信じたことの証しを書く。それは多くの人が恵みを豊かに受けるためである。
(黙想)
- パウロが引用した聖書は詩編116編10節とのこと。旧約聖書のギリシャ語訳聖書で七十人訳と呼ばれる聖書からの引用らしい。この聖書をパウロは読んでいる。詩編116では8節で神の救いが歌われている。
詩編 116:8
あなたはわたしの魂を死から/わたしの目を涙から/わたしの足を突き落とそうとする者から/助け出してくださった。
- パウロは自分の経験を詩篇の言葉に重ね合わせているらしい。自分も神の助けを得ているので、これを語るとパウロは言う。パウロの手紙を読んで思うことは、パウロは自分のことをよく語っていることに気づく。だからパウロは自分を宣べ伝えている(5節)と非難されたことがあるのかも知れない。パウロが自分のことを語るときは、キリストを証しするためであり、自分を宣伝しているわけではない。
- パウロはキリストの十字架の死と復活を信じた。信仰者はキリストと共に死にキリストと共に生きるとパウロは語る(ローマ6章)。ロマ書では信仰者の個人的な霊的な変革としてキリストの死と復活に言及している。パウロはさらにそれを自分の宣教に重ねる。彼の宣教に苦しみがあっても、たとい死にそうになっても、それはキリストの苦しみにあずかることと理解する。そして神は困難から救い出してくださる。これはキリストの復活にあずかることと理解している。自分の宣教の働きを通して、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力が働いているとパウロは信じ、これを語る。
- そして終わりの日に神が私たちをも復活させ、み前に立たせることを知っていると書く。そしてこのようなパウロの証しは、多くの人々が豊かに恵みを受けるためであり、感謝の念に満ちて神に栄光を帰すようになるためと書く。
- パウロにとってキリストの十字架の死と復活は、信仰者の霊的な変革に関わることであり、パウロにとっては、宣教にも関わることだった。四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望しない。どんなに落胆しても、宣教を諦めても不思議ではない状態になっても、パウロはキリストを死者の中から生かした神の力に信頼する。だから「落胆しません」と語る(4:1、16)。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- (御父)主イエスを復活させた神は私たちをも復活させてくださる。これは終わりの日の復活を語るが、どんなに苦しい状況の中でも助けてくださる神の救いを含む言葉である。
☆神が私たちに求める生き方
- (勧め)語っていくこと。神の業を証ししていくこと。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、パウロは「落胆しません」と語ります(4:1)。パウロは憐れみを受けて霊に仕える務めを与えられたからです。あなたから務めを与えられたからといって何事も順調にいくわけではなく、困難に直面し、途方に暮れることもあり、落胆してもおかしくない状況に陥ります。しかしキリストを死者の中から復活させた神の力がパウロを助けるので、パウロは決して落胆しません。
- 私たちの福音宣教も困難に直面します。日本伝道はむずかしいとよく言われます。でも諦めるのではなく、自分にできる最善の努力をすることが大切であると知らされます。ブログと、与えられた説教奉仕の機会を通して、福音宣教の働きをささやかですが続けていきたいと思います。それは多くの人に豊かな恵みを与えることになると信じて励みます。この暑い夏もブログを書き続けることができるように、今月は説教奉仕がありますので福音を伝えることができるように祈り準備をしていきます。導いてください。
☆与えられた導き
- ブログと説教のために祈り、説教準備をしていく。