ヨハネ福音書20章11~18節

2020年4月15日

(内容)

  • 墓の外に立っているマリアにイエスが現れた。マリアにはそれがイエスとはわからない。しかし「マリア」とイエスが呼びかけると、それがイエスだとマリアに分かった。そして弟子たちに対する伝言をマリアは頼まれた。イエスは父のもとに上る、と。

(黙想)

  • マリアの前にイエスが現れたとき、それがイエスだとマリアに分からなかった。しかし「マリア」とイエスが呼ぶと、それがイエスだとマリアに分かったとある。まずイエスの外見が変化したわけではないと思う。マリアは目が曇らされていてイエスだと分からなかったが、イエスの呼びかけを聞いて目が覚め、イエスだと分かった。
  • マリアはイエスは死んでしまったと思い込んでしまった。イエスが死んだ、それは事実ではある。思い込みが、目の前にいる復活したイエスを認めることを妨げていたのではないか。あるいはイエスかも知れないと思いつつも、死んだはずだから、目の前にいるはずがない、と思ったのかも知れない。しかしイエスの呼びかける声を聞いて、マリアはそれが紛れもないイエスの声と知った。
  • 信仰者の持つ様々な思い込みが、聖書の言葉を受け入れるのを妨げることがある。しかしまた聖書のみ言葉によって思い込みが打ち砕かれることもある。
  • イエスはマリアに「わたしにすがりつくのはよしなさい」と語る。そこにいるのがイエスだと分かった瞬間、マリアは喜びのあまり、イエスにすがりつこうとしたのか。イエスはそれを許さない。「まだ父のもとへ上っていないのだから」と理由を語る。どういうことか。イエスが父のもとへ上ってしまえば、目に見える形でのイエスとの出会いは不可能となる。だからすがりついてはいけないのか。どういうことか。
  • 色々な解釈ができると思う。「すがりつく」という言葉は、強いメッセージを発してはいないと思う。この箇所にとらわれる必要はないと思う。あえて、思いめぐらした結果としての僕の解釈は、「すがりつく」ことは助けを求める、信頼するの意味。私たちは地上にいたイエスに信頼するのではなく、父のもとに帰り、天上におられるイエスに信頼することを教えられる。
  • もっと大切なことは、次のイエスの言葉。「わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神」。イエスが父とされた神は、また私たちの父なる神であるとはっきりとイエスは語られた。ヨハネ福音書でイエスは、神のことを繰り返し繰り返し父と呼んでいる。神というところで父と言っている。イエスが神の独り子であることをヨハネは強調している。そしてこの箇所で、この神は、弟子たちの父なる神そして私たちの父なる神であることをイエスは語られた。
  • イエスは神が信じる者たちの父なる神であることを明らかされた。神はその独り子を世に遣わされた。そして独り子を信じる者たちの父なる神になってくださることをイエスは語られた。
  • イエスはマリアに弟子たちへの伝言を託す。「わたしは父のもとへ上る」と。イエスは父なる神に遣わされて父のもとからこの世界においでになり、使命を果たして父のもとに上られる。イエスは急にどこかに消えてしまうわけではない。
  • マリアは弟子たちの所へ行き、「わたしは主を見ました」と証言した。主を証しすることは大切な働きである。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御父>イエスの父なる神は、イエスを信じる者たちの父なる神である。
  • <御子> 御子イエスは、その働きを終えて天の父のもとに上る方。
  • <御子>イエスが語られる言葉、それは今も、私たちに語られる言葉である。聖書に書かれているイエスの言葉を、イエスは今、私に語りかけておられる。
☆神が私たちに求める生き方
  • <警告>思い込みは真実を見えなくさせる。救いの恵みを見えなくさせる。
  • <模範>マリアは「主を見ました」と証言をした。主を証しする、大切な働きである。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日の聖書を読んでイエス様が「わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神」と語られたことが印象に残りました。私たちが信じる神さまは、イエス様の父なる神さまであり、その神さまが、私たちの父となってくださったことを教えられます。私たちは祈りで天の父よと祈ることを教えられ、使徒信条で「われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず」と告白し、あなたが父なる神であると教えられています。しかし、父なる神がいかなる方かは深く学ぶことがなく過ごしてきました。
  • ヨハネ福音書が伝える父なる神さまは、イエス様に使命を与える神、イエス様になすべきことを教え、語るべきことを教える父でした。しかも御子であるイエス様が十字架の上で死を遂げることを許される神でした。イエス様に裁く権威、命を与える権威を授けられる父でした。そして人々の救いを願い、それを実現させる父でした。私もあなたによって救いへ導かれました。また牧師として働く使命も与えられて、本当に感謝でした。
  • そして今日、あらためてイエス様からあなたが父なる神さまであることを教えられました。
    あなたはわたしの父なる神さまです。父であるあなたに私はどう向き合えばいいのか、考えたいと思いました。
☆与えられた導き
  • あなたとの向き合い方を思いめぐらす。

~~~~~~~~~~
父なる神は、イエスをこの世にお遣わしになり、イエスに使命を与えられた。
父なる神はイエスに、なすべきこと、語るべきことを教えられた。
そしてイエスはその使命を果たして、父のもとへ帰られる。
父なる神は、わたしたちをこの世にお遣わしになり使命を与える方。
この世に誕生したということは、神から使命を与えられること。
私たちになすべき事、語るべきことを教えられる神。
そして私たちも使命を果たし終えて父のもとへ帰る。
牧師の働きを引退したが、なすべきことを与えてくださる方。
なすべきことを教えてくださいと祈ってはいる。
牧師を引退したが、隠居生活を楽しめとはおっしゃらないだろう。
使命を上からぽんと与えられるということがあるだろう。
健康が与えられている今、長く生かされた者としては、日本における宣教状況を見て、自分が果たすように召されている働きをなお見いだすことができるかも知れない。
でも父なら、はっきり示してくれてもよいと思う。