ヨハネ福音書 6章22~27節
2019年8月8日
(内容)
- 人々はイエスを捜し求めて、カファルナウムに来た。するとイエスは、「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで永遠の命に至る食べ物のために働きなさい」と教えられた。
(黙想)
- イエスは人々に「あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ」と指摘する。イエスは五千人に男性を含む大勢の人を五つのパンと二匹の魚で満腹させる奇跡を行った。この出来事は、そこにいた人々の全員が目にすることのできた出来事であった。イエスは、その出来事の中に人々が「しるし」を見ることを願っていた。つまりイエスは奇跡を行う超能力者ではなく、神に遣わされた神の子であることを知って欲しかった。
- 人は超能力者の行う奇跡を見たがる。好奇心があるから。イエスは人々について、好奇心を満たすためにわたしを捜していると告げたことになる。何を見るか、が大切である。表面的なことだけを見るのか、その奥にあるものを見るのか。
- その上で、「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい」と教えられた。これは人の子が与える食べ物となる。普通食べ物を得るためには働くことが必要。永遠の命に至る食べ物のために働きなさいとイエス様は語るが、他方で、それは人の子、つまりイエスが与えるものである。イエスが与える永遠の命に至る食べ物を得るために、働きなさいとイエスは教えたことになる。
- 4章でサマリアの女性とイエスの対話がある。そこでは食物ではなく、「水」がテーマである。井戸の水を飲む者はまた渇く。しかしイエスが与える水を飲む者は決して渇くことなく、その人の内で永遠の命に至る水が湧き出る。
- そこではイエスはこう言われた。
「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう」。
- イエスが誰かを知れば、イエスに頼み、そして生きた水が与えられるとある。永遠の命に至る食物も、イエスが誰であるかを知り、イエスに頼めば与えられることになる。イエスが誰かを知る、つまり神から遣わされた者であると知るなら、イエスに求めるのである。永遠の命に至る生きた水、永遠の命に至る食物。いずれも神の賜物。
- マタイ4:4のイエスの言を思い出す。「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」。生きた水にしろ、永遠の命に至る水にしろ、それは神のことばであり、イエスご自身である。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- (御子)永遠の命に至る食物を与える方。
☆神が求める私たちの生き方
- (勧め)永遠の命に至る食べ物を得て生きること。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、マタイ福音書でイエス様は、人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉で生きると語られました。永遠の命に至る食物の教えも同じ教えと理解します。人を生かすのは、あなたの御言葉であり、言葉が人となられてイエス様です。イエス様こそ、私たちの救い主であり、私たちを生かしてくださるお方です。私はイエス様によって、聖書を読み思いめぐらしながら御言葉によって生きることができる幸いを与えられて感謝です。私を生かしてくださる神さまをたたえます。
- でも多くの人が神さまを知らず、御言葉によって生きることができることを知りません。信仰者だからといって、皆が皆、御言葉によって生きているとは限りません。これが現実ですね。信仰者も千差万別だと思います。信仰者があなたの御心を求めて歩むことを願います。
- 今、御言葉によって生きることを伝えるために私にできることは、ディボーションを公開し、御言葉に生きることの証しをすることです。この私の試みを祝福してください。一人でも多くの人が御言葉に生きる歩みをするように導いてください。私のサイトを祝福し、用いてください。
- ふと思います。インターネットの検索でクリスチャンが検索するとき、どんな言葉で検索することが多いのでしょうか。クリスチャンの関心が私のサイトと結びつけばいいと思います。キリスト教のどんな言葉が、検索で用いられているのか、調べてみたいと思います。私のサイトに検索で導かれやすくなるようにしてみたいと思います。
☆与えられた導き
- クリスチャンが検索する言葉を調べる。