1.信仰者は「新しい人」

テトスへの手紙 3章5節
神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。

コリントの信徒への手紙二 5章17節
だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。

ペトロ第一の手紙 1章23節
あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。

以上の聖書は、信仰者が新しく生まれた存在であることを示しています。「イエス・キリストを信じる人は、新しく生まれた存在である」。これは霊的な真理です。そしてイエス・キリストを信じている「あなた」に、この真理が実現しています。あなたは新しく生まれた存在です。私たちは、霊的真理がわが身に事実となっていると信じます。これは信仰的事実です。あなたは自分が新しい人とされているということを信じるべきであるということです。私たち信仰者は何を信じるかと言えば、新しい存在にされたことを信じるのです。

私たちが新しく生まれた存在になっていると実感できるかどうかは関係がありません。イエス・キリストを信じる人は、新しく生まれた存在であると聖書は語っています。これは霊的な真理であり、あなたの身に実現しているのです。あなたが新しい人であることは信仰的事実なのです。私たち信仰者は、自分は新しく生まれた存在であると考え、新しく生まれた存在として生きていきます。新しい人にされる、これは救いの恵みです。

 

2.新しい人になった実感がない

もし、自分が新しく生まれた存在であることは実感できないから信じられない、とあなたがおっしゃるなら、逆にあなたにお尋ねします。あなたは神を信じていますが、あなたはいつも神を実感しているので信じているのでしょうか。神を実感できなかったら、神は信じられなくなるのでしょうか。神は存在するという霊的真理、信仰的事実を受け入れて神を信じているのではないでしょうか。

私たちは実感するから信じるのではなく、信仰的事実を受け入れ、信仰者になっているのです。信仰的事実を受け入れ、生きていくとき、その信仰的事実が本当であると実感できる体験をするのです。この実感は、私たちを証し人にします。

 

聖書のみ、信仰のみ、恵みのみ

 

3.「既に」と「未だに」の間を生きる新しい人

私たちは既に新しい人です。いつ新しい人になったのでしょうか。テトス3章5節が示すように、私たちが洗礼を受けたときです。私たちは洗礼を受け、新しい人とされました。新しい人に生まれ変わりました。コリント二5章17節は、キリストに結ばれて私たちは新しい人にされたと語ります。私たちは洗礼を受け、キリストに結ばれることはガラテヤ書に書かれています。「洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆」(ガラテヤ3章27節)。私たちは洗礼を受け、新しい人になりました。これは信仰的事実です。私たちはこれを受け入れ、新しい人として生きていきます。

ここでも「既に」と「未だに」の間を私たちは生きていることになります。私たちは洗礼を受け、「既に」新しい人として生きることを始めています。この新しい人は、私たちが復活し、神の国に迎えられるとき、全き新しい人になります。この意味で、私たちは「未だに」新しい人ではありません。「間を生きる」とは、言い換えると、信仰者として「成長する」ことを意味します。聖書によるなら、主と同じ姿に造り変えられていくのです。

コリントの信徒への手紙3章16節
わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。

終わりの日に、全き新しい人にされることについては、

ヨハネの手紙一3章2節
愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。

 

4.クリスチャン(信仰者)のアイデンティティー

  • クリスチャンは、新しい人です。
  • クリスチャンは、神の子です。
  • クリスチャンは、義とされ、罪赦された人です。

「新しい人」「神の子」、「義とされ、罪赦されている」、いずれも信仰的事実であり、私たちはこれを受け入れ、これを信じます。実感できたから信じるのではありません。実感しているなら、「信じる」必要はありません。実感できないから、実感しないにもかかわらず、信じるのです。私たちは霊的真理を信じるのです。わが身に実現した信仰的事実を受け入れ信じるのです。実感は後からついて来ます。

クリスチャンは「新しい命」「永遠の命」を与えられて、新しい人、神の子として生きています。永遠の命が与えられている、これも霊的真理であり、わが身に実現している信仰的事実です。

ヨハネ福音書6章47節
はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。