聖霊を信じるとはどういうことでしょうか。以下の点を信仰の急所として覚えていただければと願います。

1.私たちと共におられ、私たちの内に住まわれる聖霊

使徒言行録2章38~39節
すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです」。

  • 私たちが自分の罪を悔い改め、洗礼を受けるならば、罪が赦され、さらには聖霊を賜物として受けると約束されています。聖霊は三位一体の神、人格を持つ神さまです。この方が、私たちに与えられるというのです。

ヨハネ福音書14章16~17節
わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。

  • ヨハネ福音書は、聖霊(弁護者、真理の霊)は、永遠に信じる者たちと共におり、信じる者たちの内におられると語っています。聖霊なる神さまがわたしの内においでになる、これを信じることは非常に大切です。これを信じないと、信仰の前進、信仰の成長はむずかしいと思います。

 

2.私たちを新しく生まれさせる聖霊の働き

洗礼を受けると、罪が赦され、聖霊が賜物として与えられます。聖霊なる神さまは、私たちのうちに住んでくださいます。すると私たちは新しい存在とされます。新しい存在、これは信仰者のアイデンティティーです。

コリントの信徒への手紙二5章17節
だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。

 

テトスへの手紙3章5節
神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。

  • 洗礼を受けた私は新しく生まれた、あるいは新しく造り変えられたという実感が持てないという方がおられます。私たちは信仰者です。実感に基づいて信じるのではなく、聖書に書いてあるから、信じるのです。新生、これは神さまの約束であり、私たちは神さまの約束を信じます。聖書のみ! 信仰のみ!

3.信仰を与える聖霊の働き

コリントの信徒への手紙一12章3節
ここであなたがたに言っておきたい。神の霊によって語る人は、だれも「イエスは神から見捨てられよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。

  • イエスが主であり、救い主であるとの信仰を私たちに与えるのは聖霊のお働きです。信仰は賜物です。信じたい、との思いが与えられた時、私たちは信じる決断をして洗礼を受けます。

コリントの信徒への手紙二4章4~6節
この世の神が、信じようとはしないこの人々の心の目をくらまし、神の似姿であるキリストの栄光に関する福音の光が見えないようにしたのです。わたしたちは、自分自身を宣べ伝えるのではなく、主であるイエス・キリストを宣べ伝えています。わたしたち自身は、イエスのためにあなたがたに仕える僕なのです。「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。

 

4.神の言葉に対する信頼を与える聖霊

ハイデルベルク信仰問答で私の最も好きな箇所を紹介します。

問21
まことの信仰とは何ですか

答え
それは、神が御言葉において
私たちに啓示されたことすべてを
私が真実であると確信する、
その確かな認識のことだけでなく、
福音を通して聖霊が私たちのうちに起こしてくださる
心からの信頼のことでもあります。

  • 聖書が神の言葉であるとの確信、それは聖霊が与えてくださいます。でも私たちは黙ってその確信が与えられるのを待つのではなく、聖書を読んで待ち望みます。聖霊の導きを祈って聖書を読み、聖書を味わうのです。聖書の言葉を自分の生活とのかかわりを思いめぐらすのです。このようなことの繰り返しの中で、確信が与えられます。私はそう信じて歩んできましたし、確信を与えられました。
  • その確信に基づき、聖書の言葉に信頼します。聖書の言葉に信頼し、これに立脚して物事を考え、決断して歩みます。それが「心からの信頼」が意味することです。そのような歩みを導くのは聖霊の働きです。聖霊に導かれる信仰者は、聖書の言葉によって自分自身を整え、信仰者としての歩みを整えて歩みます。つまり聖書を読み、悔い改め、イエス・キリストに似た者へと歩みを進めます

 

5.聖霊の導きとは

  • 聖霊は神さまなので、その導きは「これです」と規定することはできません。聖霊は自由に働かれる方です。私たちが求めることのできる導きがあります。それは御言葉による導きです。聖書を神の語りかけとして読む時、神は私たちを導こうとされています。聖霊はみ言葉を通して導きを与えてくださいますし、これを私たちは自覚的に求め、信仰の歩みをします。
  • 聖書を通して聖霊の導きをいかに求めるかは、このサイトで聖書の読み方について提案をしているので、それを見てください。

 

6.信仰者が新しく生まれた存在であるとは

  • 信仰者が聖書に親しみ、聖書によって生きようとすること、そこに信仰者の新しさがあります。そもそも聖書を読むことを大切にする、神さまに祈る、神さまを礼拝する、これらは皆、信仰者が新しくされたことを示す「しるし」といってよいと思います。