聖書は日本語で書かれているので、聖書の読み方をわざわざ教えられずとも、自分で読むことができますし、また教えずともよいとの考えもあります。私自身、洗礼を受けた後、聖書の読み方を教えられたことはありません。自分なりに読んでいました。聖書について教える本はいくらでもありますが、聖書を読むことを教える本は少ないように思います。聖書を読み、それを日々の糧とするような読み方を教える本も少ないようにに思います。

信仰者が自分の聖書を持ち、聖書を手元に置いて読むことができるようになったのは、後代のことです。宗教改革の時代、民衆は自分の聖書を持っていませんでした。マルチン・ルターは聖書をドイツ語に翻訳し、出版しました。最初それは非常に高額でした。やがて印刷技術が発展し、安い価格で販売されるようになってはじめて、民衆は自分の聖書を持ち、読むことができるようになりました。私たちは宗教改革者から、信仰について学ぶことができます。しかし聖書の読み方について書いたものがあるのか、私はよく知りません。ただしルターは、「神学を研究する正しい方法を示そう」(ルター全集ドイツ語版序文)と語り、聖書の読み方について語っています。しかし庶民に聖書の読み方を教える文章とは思えません。

私自身は、ある超教派の集会で、生活のなかで聖書を読む読み方を学び、今日に至っています。また教会でも、その読み方を紹介してきました。それをここで紹介したいと思います。この聖書の読み方をデボーションと呼ぶことにします。

 

はじめに.その一

レストランで食べるごちそう。それは修行を積み、圧倒的な技術を持つ料理人がつくったごちそう。おいしさに満足で心はいっぱい。毎日家で食べる食事。それは平凡なありふれた食事。ごちそうとは...

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はじめに。その二

私は日本基督教団の隠退教師です。日本基督教団には信仰告白があります。この信仰告白は、最初に聖書について告白します。紹介します。 我らは信じかつ告白す。 旧新約聖書は、神の霊感に...

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第1回 デボーションの概要

1.神の約束と神への信頼 聖書を生活の糧とし、神さまの導きを受け取るデボーションをする私には、信じていることがあります。以下の三つのことです。これらを神の約束と受けとめ、この神の...

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第2回 分かち合い

(デボーションはひとりで行いますが、デボーションした内容を仲間と分かち合い、励まし合います。デボーションを継続するために分かち合いは大切です。仲間のデボーションを聞くことによって学...

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第3回 聖霊の導きを求める

1.導き手である聖霊を信じる ディボーションをする時、私たちの導き手となってくださる聖霊の臨在を信じ、この方に心を開くことが大切です。主イエスは聖霊が私たちと共に、私たちのうちに...

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第4回 聖書(神の語りかけ)に聞く

1. 神さまに聞くことは大切です 神さまが語りかけられるからです(サムエル記3章10節)。 本当に必要なことは一つしかないからです(ルカ福音書10章38~42節)。...

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第5回 神の導きを受ける(適用)

聖書から聞いた内容に基づき、神さまの導きを受け取ります。聖書の教えを自分に当てはめます。これを適用と言います。このように当てはめたことが本当に神さまの導きなのか、との疑問はあると思...

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第6回 ディボーションの習慣化

人生は習慣の集積です。よい習慣はよい人生をもたらします。一つのことを習慣化することは簡単ではありません。忍耐や努力が必要です。デボーションは、その忍耐、努力に見合う恵みを与えてくれ...

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デボーションの証し(2014年12月8日)

以下は、金沢元町教会でデボーションの学びをしていたときの私の証しです。 キリストに結ばれた歩み 私は小さいときから死を恐れて生きてきました。メメントモリ、というラテン語の言葉が...

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信仰の杖・デボーション

以下の文章は、金沢元町教会の教会報(2017年3月発行)に寄せた文章です。この3月に私は金沢元町教会を辞任し、牧師を引退することにしました。以下の文章は、遺言のつもりで、教会報に書...

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